簡単な日本史〜「くにぐに」→「国」→解体中→今、再生中? | あらやす日(本)誌

簡単な日本史〜「くにぐに」→「国」→解体中→今、再生中?

明治時代になるまで、

多くの日本人にとって、

「日本」の認識、

”日本”人の認識がほとんどなかった。

 

歴史的に日本の「くに」は、

生まれた地域の場所=故郷の固有名詞にかかわる社会観で、

多くの「くに」が集まった「くにぐに」が日本だった。

 

長い間、江戸時代まで、

日本の「国」よりも、

各藩=地方自治体的な「くに」があり、

それら「くにぐに」を武士階級が防衛していた。

 

アジアで欧米の植民地は拡大してゆき、

欧米諸国は、

日本でのこれら「くにぐに」の武士の防衛体制を知って、

また、

侵略しても儲けるための資源が日本で少ないので、

侵略的な動きが大きく鈍ったようだ。

 

ただ、

欧米列強が連合軍になって、

大軍が来る可能性は想定できたので、

これを想定できた強い「くにぐに」(薩摩藩・長州藩等)は、

江戸幕府を解体して、

明治時代をつくって強国・日本の「国」がつくられた。

 

しかし、

日米戦で敗戦すると、

東西冷戦の混乱を回避するために中立化政策を進め、

江戸時代に戻るかのように、

明治時代以降につくられた強い「国」が弱体化して、

強国のイメージを否定する動きが出てくる。

 

明治時代に、

地域の「くに」も明治時代に衰退したので、

ここ半世紀、

日本で無国籍的なムードが蔓延し、

このムードは反日的な動きの土壌にもなっているようだ。

 

このムードの中で、

中高年齢層は、

このムードの逆、社会保障等のドームの中で、

少しは明るいだろうが、

未来を背負う若年層は特に暗いムードだ。

 

「くに」「国」の否定的なムードが、

自虐的な、反日的な言論を受容して、

江戸時代に戻ったかのように、

「くに」「国」を否定する自虐的な言説を自由に言えるようなり、

明治時代につくられた日本の「国」のイメージは、

徐々に希薄化してゆく。

 

これは最大の社会的・国家的な問題だが、

この問題は、

長年に渡って論外にされ、誤魔化されてきた。

そして、

昔々の「くに」や19世紀末から形成した「国」も失って、

根無し草の風潮が蔓延したことで、

弱体化した日本社会の土壌がつくられ、

個々、さらに根無し草になってゆくのが、

日本人の精神的な貧しいマインド、心だろう。

 

根無し草的な人づくりと貧弱な国家観を前提に、

東西冷戦時代を中立的な外交政策の中で経済重視で生き延びたのが、

日本の国策だったのだろう。

 

【蛇足】

1945年、日米戦争の敗戦後、「根無し草的な人づくりと貧弱な国家観」は、明治時代〜昭和初期に強い国家主義を持った人々が国家存亡の危機(敗戦後の危機、東西冷戦時代の危機)を回避するために構築した。そして、彼らの多くが日本社会から引退した1980年ごろから彼らだけが守ってきた根のある強い人格や強い国家観が消えて、日本は根無し草的な人と貧弱な国家観に支配されることになる。

 

 

いま、

壊されかけた地方の「くに」の再生以上に、

弱体化した日本の「国」をいかに再生するか?

今以上に諸外国の属国的な国になるのか?

 

憲法改正論議等で、

普通の「国」になれるのか?

憲法上、文字上で普通になっても、

実質的にいつ普通になるのか?

 

2020年の東京五輪は、

普通の国に転換する好機になるのだろう。