そらとの出会いは突然でした。
当時、ペットシッターとして働き始め2年が過ぎようとしていた頃でした。
ワンコしか飼育した事がなく、お仕事でお世話している猫ちゃん達があまりにも可愛く、お家に猫ちゃんがいたら良いなぁ…
なんで思っていた矢先
ご近所で保護活動をされている方が3時間おきの授乳が辛くて助けて欲しいと動物関係の仕事をしているという事で私に連絡をいただきました。
あまりにもちっちゃい黒いモフモフを見た瞬間『お世話します』連れて帰りました。
キッドブルーの目から『そら』と命名
それが14年前の5月…
何も問題なくスクスクと育ち、ゴールデンのアトムがお世話してくれていました。
そらもアトムが大好きでいっつもくっついて親子のようでした。
生後7ヶ月を過ぎ去勢手術も無事終わり体つきも大きくなり始めた頃、突然そらは歩けなくなりました。
下半身に力が入らずふにゃふにゃになった後ろ足…
そのうち前足も1日で動かせなくなりました。
かかりつけの病院では最新医療機器のない町医者さん的な病院だったので何かしらの疾患が発症したことしか分からずお手上げだと言われ詳しい検査をするなら大きな病院へと言われ…
地元では有名な各科が揃っている大きな病院に向かいました。
そこでは、入院を余儀なくされ筋肉、神経、骨など色んな方向から調べてもらいました。
そら、お利口さんで色んな検査頑張りました。
数日後、猫では珍しい頚椎の関節が何か衝撃を受け神経が圧迫された事による神経障害と解りました。
頚椎の間隔を少し広げて固定しお薬を飲むことで1ヶ月後には普通に階段を登れるまでになりました。
介護になると一時は諦めたのですが…
徹底的に調べてもらう事によりまた普通の生活が出来るようになりました。
回復して行く様子はもう奇跡としか思えない展開でした。
そんなそらも今年14歳になり次々と我が家にやってくるワンコ、ニャンコを受け入れ、時には取りまとめてくれました。
本当に手のかからない気の向いた時だけ甘えにやってくる猫らしい猫でした。
亡くなる十日前ぐらいまでは普通にご飯も食べて大好きなビニール袋に穴を開けたりと変わらない様子でした。
急に元気がなくなりご飯を食べなくなり……
食べようとすると口から泡やヨダレが出始めてそのうち食べること飲む事を拒否するようになりました。
もちろん病院で腎炎、膵炎、甲状腺、レントゲンで調べてもらい肺にお水が少し溜まっている事以外分からず…
体力の落ちたカラダにこれ以上の検査は危険かもしれないと点滴に抗生剤、ビタミン剤、吐き気どめ、ステロイドなど負担をなるべく少なくして
様子を見ていて亡くなる日の朝、いつものそらのお水の飲み方に戻りたくさん飲んでくれたので『これから少しずつ頑張ろうね』と言っていたところでした。
病院に着くやいなや暴れ出し口呼吸になったのですぐに診察室へ…
その時にはもう心肺停止でした。
たくさんの先生や看護師さんが蘇生処置をしてくださいましたが15分経っても心臓は動いてくれませんでした。
先生いわく、おそらく猫ちゃんによくある胃腸のどこかに腫瘍が出来、それが破裂もしくは大きくなっていたのではないかと…
その影響で血栓ができ心筋梗塞を起こしたというのがいちばん確率が高いでしょう…と。
病院に着いてすぐの事でしたが、もしもこれがお家だったら…しかもお留守番させている時間だったらと思うと病院で良かったのかもしれないと思いました。
先生が『しばらくそらちゃんをお預かりして良いですか?』とおっしゃったので何か死因を調べられるのかな?と思い『はい』と答えると
『そらちゃんをキレイにしてあげてからお家に帰ってもらいましょう』
と言われて…
病院では泣くまいと我慢していた涙がブワッと出てしまいました。
思ってもいなかったエンゼルケアをしていただきました。
1時間後に迎えに行ったそらはふわふわで良いにおいがしました。
まるで寝ているような顔にまた起きて来るのではないかと思ってしまい胸が詰まりました。
お盆休みはお仕事が詰まっていてなかなかそらとゆっくりお家で過ごす事ができないまま18日14時30分にお空に帰って行きました。
ウチの子達…
どうしてお盆に亡くなるんだろう…
みんな8月に…
そして介護らしい介護もさせてくれないまま突然逝ってしまう。
もっとお世話させて欲しかった。
いっぱいお話しする時間が欲しかった。
そら、ちっちゃくなって帰って来ました。
また、うちの子になって帰って来て欲しい。
黒猫のまま…
お母さん、わがまま言うてるね。
ごめん、でも、向こうにではアトム、サン、くぅはるばぁがいるから寂しくないね。
お母さんが向こうに行くまでみんなと待っててね
うちの子になってくれてありがとう
大好きよ。
そら
14歳4ヶ月
少し早い生涯でした。