昨日、今日と親類の葬儀に参列していました。


もちろん家族全員にて・・・


で、当たり前ですが葬儀ですので騒いだり、走ったりは


本来してはいけない場です。



しかし、3歳と5歳の子供にずっと静かに大人しく


座っていなさいというのは難しいわけでして・・・



なので、親類が座るような席には座らずほとんど


そとで過ごしました。


通夜の後の食事も疲れたのか?調子付いたのか?


ごろんとしたりとだらしない感じになりました。



告別式の前に私はこれ以上迷惑を掛けるなら退席したほうが


いいのではないか?と何度も言いました。


子供たちに叱って泣かしてまでずっといさせるのにも無理があるし、


私たちの両親とか兄弟とか祖父母という立場ならそれでもいなかれば


ならないでしょうが、そういう親類ではなかったのと、他のだんなさんのきょうだいも


仕事で今日は来ていなかったので告別式まで参列してお別れできたら


これ以上騒ぎ立てて迷惑を掛けるよりも、私たちも周りを気にして子供たちを


無理やり押さえ込んで大人しくさせて怒り続けるよりもいいのでは?と


思いました。


けれど、旦那さんは自分の親類だから義理を果たしたかったのだと思います。


いい顔はしていませんでした。


結局、叱り続けて、ほとんど告別式も出棺も違うところで過ごして、それでも


大人しくしてくれずにいい加減にしなさいと叱りながら無理無理最後まで


いました。



タイガーはよほどストレスだったのか、何度も目を覚まして泣いたり


走ったりしています。



けれど、施主の方に「僕たちに子供がいなかったので小さい子が


いてくれて助かりました。子供たちが大好きなオヤジだったので


喜んでくれてると思います」と言われて、とてもホッとしました。



迷惑ばかりだと感じていたので・・・



そして、今日、たまたま坂上忍さんの書いておられる本を


目にすることがあり考えさせられました。



子役の子供は挨拶もしっかりとして、決して大人に迷惑を掛けないようにする。


でも、それは本当に子供らしいことなのか?


子供が子供らしさを発揮できるのは一瞬じゃないのか?と。


その時期にその子供らしさを発揮させることよりも、親が人から


見て見栄えのいい子育てばかりを目指してはいないか?


きちんと嘘もつかず、いたずらもせず、迷惑も掛けず・・・それは親にとって


きっと自慢の子供なんだと思うし、人からもいい子育てをして素晴らしい


お子さんと褒められ、にんまりできることでしょう。



でも、子供らしさを発揮して、いろんなことをしでかしながら、それでも


時には叱られ、注意されながらも愛情をしっかりと受けたほうがあとあと


いいのではないか?


そういうことを掻い摘んで言うと書かれていたと思います。



そして、同じようなことを子育てのプロが前に話していました。



なるほどなぁと思いました。



少なくとも、私は、きっと見栄えのいい子供を昨日から子供に


要求して、それに応えない子供にいらついていたのです。


葬儀という特殊な場で、こんな小さいのに列席しても恥ずかしくない


そんな子供であって欲しかったのです。


それが無理で「うるさい」「大人しくしなさい」「走らない」


「きちんとしなさい」


そんなことを言い続けて、叱られて子供が泣いて「うるさい」


この悪循環の繰り返しでした。



家に帰ってからタイガーは嘘をついたようです。


本当は自分が持ってきたのに弟が持ってきたと嘘を父に言いました。


それがバレて父親に嘘をついて弟に罪を擦り付けるとは何事か?


相当厳しく叱られていました。



場所、場所に応じてきちんと対応するのは大人には当たり前でも


子供には難しいこともあります。


けれど、子供だから好きにさせていいとは思いません。


子供なんだからと、胡坐をかいて知らん振りはいけないと思います。


そこはきちんと教えていかなければと思います。


ただ、今回はそれよりも自分達の周りからの目を気にしすぎて


子供に長時間にわたり無理を強いてしまったような気がしてなりません。



子供らしさ。


誰もが使うし、誰もが子供に願うこと。


なのに、気付けばそれを一番遠ざけて、オトナにとって(親にとって)


都合がよく、見栄えのいい子育てをしてしまっているのかもしれないですね。