私は、幼稚園の年長の時サッカーを始めた。幼稚園の3年間とも同じクラスであった友達に誘われて、近くの少年団に体験に行った。その時はコーチが優しくしてくれたこと、友達と一緒にボールを蹴れるのが嬉しかったことから、入団しようと思ったことを覚えている。
私は、足も手も左利きである。そのため多くのスポーツでそうだと思うが、重宝される。左利きの選手のほうが少ないため、それだけでステータスとなるのだ。
小学生に上がり、コーチが変わった。そのコーチは良く言えば情熱的なコーチで、私たちと同じ目線で同じ熱量で戦うコーチであった。
そのコーチは子どもたちのことを下の名前で呼ぶのだが、なぜか私だけ、下の名前+ちゃん付けで呼ばれた。
当時の自分は、自分だけがその呼ばれ方であったことが嫌で、なぜ自分だけそのように呼ぶのかと聞いたことがあったが、その呼び方がしっくり来るんだよ~と納得する回答は得られなかった。
話は変わるが、皆さんは小学校低学年の試合を見たことがあるだろうか。
基本的に、この年代の子どもは、まだボールを上手く扱えず、キック力もないため、パスというものがあまり存在しない。
ボールの蹴り合いになり、いわゆる団子サッカーの状態になる。私が考えるにここでボールにガツガツ行けるこどものほうがその先の伸び代があると考える。当時の私は、その団子を後ろのほうから眺めているだけだった。誘ってくれた友達はチームの中でも上手くボールを扱うことができたため、エースであった。そんな友達の活躍を当時の私は、特等席から見ていたのである。試合を見ている親からしたら、もっとボールにガツガツ行ってほしかっただろうが、私はそれに満足していた。
小学校2年生の時が私の節目となる年である、少年団に左利きの子が入ってきた。その子はサッカーを今までに習っていなかったそうだが、センスがあって、キック力もあったため、みるみる上達していった。
その子が入ってきた辺りから私のベンチ人生は始まった。
前提として、少年団には皆で楽しく試合をしようというコンセプトのチームと勝利を目指して戦おうという2つの種類のチームがある。私のチームのコーチは後者であった。
ベンチというものは、仲間たちの活躍を外で見ていなければならない悔しいものである。このような方針のチームにおいて、試合で長い時間出ようと思うには、ライバルとなるチームメイト以上に努力して、実力を伸ばす必要がある。
つまり、どれだけなにくそと思えるのかが重要なのである。勉強でもなんでもそうだが、人よりも良い成績を残したい、あの子よりもうまくなりたい、出来るようになりたい、と思うならば、よほどの才能がない限り、頑張らなければならない。
当時の自分には、試合に多く出たいという気持ちが足りなかった。あの子はうまいな、良いなと思うだけで、何か行動もせず、休みの日はゲームばかりしていた。周りの子はリフティングの練習をしたり、キックの練習をしたりと行動をしていたが、自分にはそれがなかった。チームの方針がとにかく勝つことを目指すものだったこともあり、同じチームでプレーする仲間が増えるにつれ、私の出場時間は減っていった。
このような現象は他のチームでももちろん起こる。親目線からすれば、自分の子どもが試合に出て活躍している姿を見たいと思うのは、必然である。コーチに対してなぜうちの子どもは試合に出られないのかと聞き、納得のいく回答を得られなければ、やめて別のチームに行く選択をする家庭がたくさんある。
私の親は、そのようなことは一回もなく、私が良ければ好きにやりなと楽観的であった。私のチームは当番制で、送り迎えも含めて試合にいくつかの家庭の親が試合に帯同しなければならなかった。私の母親が帯同することももちろん多くあった。せっかく遠いところまで来ても、我が子は試合にあまり出ない。来ている意味がないと言ったら、大げさだが嬉しい状況ではないことは、確かである。当時の親はどう思っていたのだろう。聞いたことはないが、今となっては申し訳なさが残る。
たまにリフティングとかやりなよと言って来たこともあったが、リフティングは単純作業の繰り返しなのでうまくできないと、すぐやめてしまい長続きしなかった。それは上達もしないわけである。リフティングの練習には忍耐力が必要なのだ。
そんな私とは反対に誘ってくれた友達は、みるみる上達していっていた。とにかくサッカーがやりたい、うまくなりたいという気持ちが当時の幼い自分でもわかるくらい前面に出ていた。その友達がクラブチームに行くということで辞めてしまった。私を誘ってくれた友達は二人いたが、その一人が辞めてクラブチームに行くことになった。その友達は抜けてうまかったため、そうなる未来は容易に想像できたが、いざその時が来ると悲しかったのを今でも覚えている。
小学校中学年になり、私のサッカーに対するモチベーションは確実に低下していた。周りの友達は、めきめきと上達していき、リフティングも50回,100回とできる子が増えていった。私は負い目を感じていたが、負けずと自分も練習しようという気持ちは持てず、状況はかわらなかった。チームの中でも先発組とベンチ組の実力差は、どんどんと離れて行っていた。キック力が付いてくる子も多く、ボールが浮くようになっていた。そうなると練習の休憩時間に止めたボールを離れたところから蹴ってゴールに決めるという遊び?シュート練習?が行われるようになる。キーパーの子が触れないような高さのボールや、速いシュートを打つ子が多く現れる。そうなるとこんなに蹴れるようになった、こういうシュートが打てたと、「できた」という気持ち、体験が積み重なっていき、自信が付いていく。それに従って、今度はもう少し遠くから蹴ってみようとか、逆足にも挑戦してみようという向上心が生まれる。当時の自分は皆のようにボールを強く蹴ることが全くできず、皆が蹴る場所から蹴っても、到底ゴールを決めることは不可能だったので、その輪には入らず、皆が蹴ったボールを拾って返すということをしていた。
皆にとって都合の良い存在でいることが、自分の居場所を作ることになっていたのかもしれない。
あの時、自分も蹴っていい?と言えていたら少しは違ったのかもしれないが、こんなにも蹴れないことが目に見えてしまうことが怖かったのである。周りからどう思われるかということも。
試合に出る時間は限られており、公式戦にはほとんどでていなかったように思う。
冒頭でコーチは、情熱的なコーチだといったが、悪く言うととても怒るコーチであった。
良くないプレーをした際には、良く怒られていた。そうなるとどうなるか、委縮してしまうのである。ボールを取られたくないから、すぐにパスを出す。ただ、ボールを上手く蹴れないため、そのパスも高頻度で奪われてしまう。「できた」という経験が得られずどんどんと自信を失っていた。
その結果、試合にはあまり出られず、ベンチから試合を見守ることが多かった。ベンチから試合に出たいとアピールすることもなく、ただただ試合を見ていた。
そんな中、4年生の時誘ってくれたもう一人の友達もやめてしまった。その友達は、小学校入学時に引っ越していたので、学校が違ったが、主にその学校で活動している少年団に移るとのことだった。もちろん友達もそのチームには多くいただろうから、退団してしまうのも無理はなかった。
この出来事は当時の自分にとって、サッカーを辞める理由には十分すぎた。二人の友達と一緒にサッカーがやりたくて始めたのに、もうそれができなくなった。サッカーへのモチベーションはほとんどなかったので、辞めることももちろん考えたが、それまでにできた同じ少年団の友達と話すことは楽しかったので、続けることに決めた。モチベーションはなかったが、毎週土日の練習には休むことなく行っていた。それが続けられたのは、間違いなく友達がいたからだった。
小学校高学年になる。
相変わらず試合に出られない状況は変わらなかったが、少し自分の中でも変化があった。試合を見ることが楽しかったのである。ベンチにいれば、コーチに怒られることもなければ、ミスをしてチームメイトに文句を言われることもない。ベンチのほうが居心地よかったのだ。この年齢にもなれば、対戦相手的にも今日は試合に出ることはないだろうなということは、予想できた。行く必要も正直あまりなかったと思う。それでも会場まで行ってベンチで試合を見ていた。同じ練習をしているチームメイトを近くから見ていたのだ。ハーフタイムになれば席を空け、一緒に話を聞いたり、アップをしたりする。それを繰り返していた。
今思えば試合を見ることが楽しいと思うしかなかったのかもしれないが、それでよかった。それがよかった。
練習には行っていたため、自分もちょっとずつではあるが、上達していることを実感していた。ダブルタッチという簡単な技がサッカーにはあるのだが、それが得意になっていた。インサイドでボールを横にずらすという単純な技だが、突っ込んできた相手をかわすには有効で、練習や練習試合などでダブルタッチを使い相手を抜いたときは、確かに楽しいという感情があった。
話はそれるが、練習などで試合をする際、自分たちでチーム分けをするように言われることがある。実力差が出ないようにするために、代表者同士がじゃんけんをして、自分が一緒にプレーしたいと思う人から順に取り合うということをする。そうなるともちろん上手でない人は、最後まで余ってしまう。ゲームの性質上仕方ないにしても、残酷なものである。自分でもこうなることは分かっているのに、毎回悲しくなる。なにかこれ以外に良いチーム分け方法はないのかといつも思っていた。
この年代になると自分の一個下、二個下の代の子もうまい子が多くなってくるため、人数が足りない場合や公式戦の時に、助っ人として借りてくることが多くなる。そういった子が活躍していたり、たくさん試合に出ていたりすると、さすがに少し悔しいと思う気持ちはあった。しかし、自分よりうまいことは明白であったためどうしようもない、行き場のない気持ちを抱えていた。
そんなこんなで最後の大会である卒団大会を迎えた。私の学年は最終的に12人であった。小学校の試合は、基本的に8人制であったが、卒団大会は11人制でコートもいつもより大きい大人と同じコートの広さで行った。キーパーが二人いたため、その片方の子だけがベンチで、私は左サイドバックで出場した。最初は4チームのグループ戦で、自分も自分にできるベストを出したが、惜しくもチームは三位であった。その後同じ三位同士でトーナメント戦を行った。一つまた、一つと勝ち上がっていき、決勝戦まで進むことができた。それまでには、自分がミスをしてチームが大ピンチになることもあったが、チームメイトのカバーで危機を回避したり、逆に自分が一生懸命走って、オーバーラップをしたり、プレスバックをしたりして褒められることもあった。私も最後の試合だし、自分が試合に出られることもあり、いつも以上に頑張ろうという心意気だったため、褒められると嬉しかった。
決勝戦は、何度も今までに対戦したことのあるチームだった。そのチームのキャプテンは、同じ学校の同級生でそのこともあって負けたくない、勝ちたいと初めて本気で思った。試合は拮抗した展開で0-0の状況が続いていた。自分も頑張って走ってプレーしていた。後半残り僅かの場面で、同じ幼稚園の頃から一緒にやっていたチームのエースが劇的な決勝点を決めた。あの時の景色は今でも覚えている。私の父は、ほとんど試合を見に来ることがなかったが、その日は珍しく来ていて、父の前で自分がプレーをして三位リーグではあったが、優勝をできたことがとても嬉しかった。
小学生最後の試合を勝利で終えることができたのは、私のサッカー人生においてとてもよかった。しかもその試合にフル出場できていたことが、とても重要である。
負けず嫌いとは程遠い性格で、負けん気がほとんどなかった私にとって、サッカーという競争の世界があっていたかはわからないが、ベンチばかりの状況でも、最後まで辞めずに、最後を勝利という形で締めくくれたことは、私がサッカーを続けたことへのご褒美だと思っている。継続は力なりという言葉があるように、続けることは大事である。続けた先に何があるかはわからないが、続けることに意味があるように思う。
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ベンチばかりのサッカーライフでも悪いことばかりではないと思います。
実際私は今もサッカーを見ることが好きで、国内外の試合をよく見ています。
環境を変えることも一つの手で、そのほうが良いこともたくさんありますが、続けてみて良いこともあると思います。
何よりサッカーは楽しいものです。仲間たちと同じゴールを目指して戦う、人と繋がることができる素晴らしいスポーツです。サッカー上達の近道は、とにかくボールに触れること。何よりサッカーを楽しいと思えることが重要です。「できた」という感覚、経験が積み重なっていくことで、自信につながっていきます。自己肯定感を高めることにもなります。ですから、子どもたちが委縮してしまうような環境は好ましくありません。子どもたちが自分で考えて、伸び伸びとプレーできる環境を作る、褒めて伸ばす環境を作ることが私は良いと考えます。