テーマ《日常生活こそが、内面(魂)磨きの修行道場》

 

皆さま、おはよう御座います。こんにちは😃!

 

『開運☆ 魂の紐解き』や

『愛する魂との繋がる☆ ご供養ヒーリング』

などをご提示しております、ガブリエル・クロです。

 

お読みくださいまして、ありがとうございます。

いいねやフォローも感謝しております。

 

 

私ですが、宮城県仙台市在住。猫好き😺

 

やるせない地球体験のトラップにハマって

困っていらっしゃるお仲間がいらっしゃれば。

 

私にできることで、少しでもお助けしたい…と思っている者です。

 

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《各種・見えない世界に関わる相談セッション》を承っております。

 

https://ameblo.jp/arama2019/entry-12720595281.html?frm=theme

 

 

 

もう一週間前のことになりますが、

私の地元、宮城県仙台市にお住まいの

ある高名な僧侶の方の講演会に参加できましたので、

今回は、それに関わる話題を書きます。

 

 

その僧侶とは、金峯山修験本宗の

塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)です

 

 

地元クレカ会社の主催で講演会があると知り、申し込みました。

ラッキーなことに抽選で当たりました🙌 

 

 

当たるに違いない!と予感していましたので

やっぱりなぁ〜。ということは、何を学ばせて頂くのかなぁ〜🤔?

と思いながら出かけました。

 

 

 

塩沼亮潤・大阿闍梨とは、どなた?

 

塩沼亮潤大阿闍梨さんって、どなた?」とおっしゃる方向けに、

簡単なご紹介をさせて頂きますね。

 

 

この話は、私の興味から始まります。

 

仏教の教えに関心を持ち始めた今年の3月ごろ、

『千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という厳しい修行を知りました。

 

 

かつて観た斎藤一人さんの動画で、

日本一過酷な修行」のようにおっしゃっていたのを思い出していました。

 

 

『千日回峰行』と言っても、『比叡山延暦寺・天台宗の千日回峰行』と、

『金峯山修験本宗・大峯山の千日回峰行』の、2種があるとのことでした。

 

https://k-hisatune.hatenablog.com/entry/2018/03/12/000000

 

 

 

 

実は、私の直接の興味は、

天台宗・酒井大阿闍梨の動画を観たのがきっかけでした。

 

 

その修行の凄さ・奥深さに、またその人間性の謙虚さ・奥深さに、

すっかり驚き、感銘を受けたのです!

 

https://youtu.be/LwIFEIDYf8w

 

 

 

話はちょっと脇道へ。

 

酒井大阿闍梨は、2013年9月23日に遷化なさっておられます。

 

畏れ多いのですが波動を読ませて頂くと、

その魂は、既に最高の位置に至っていらして。

 

そこから私たちを見守るお役目のように感じます。

 

 

『解脱』…いや元々、ダイレクトに地球にいらした宇宙魂であって、

仮の宿りを地球で過ごされたように感じます。

 

 

過去の高僧にもそのような方々が、折々いらっしゃいました。

 

 

 

 

当時、酒井大阿闍梨の『千日回峰行』をめぐる話が

1979年にテレビで放送されたらしいのですが、

それを観て深く感銘を受けた方々も多かったと思います。

 

 

感銘を受けたお一人が、今回ご紹介の、塩沼亮潤師だったのです。

 

「自分もあのような修行をする‼️」と決め、

ひたすらその道を辿って行かれたようです。

 

(講演中も、ご本人みずから、“ 修行好き" とおっしゃっていました。)

 

 

 

ウィキペディアから、塩沼師の簡単なご紹介を引用します。

 

テレビ番組で酒井雄哉師を観て、千日回峰行に憧れる。

 

高校卒業後19歳の時、金峯山修験本宗管長・五條順教に師事し、

1987年5月に総本山金峯山寺で出家。

 

1991年5月3日の戸開けから百日回峰行に入り、8月10日に達成する。

 

1992年5月3日から千日回峰行に入り、

1999年9月2日に金峯山史上2人目となる千日回峰行を達成する。

 

2000年9月28日から四無行を満行

その後、帰郷して(仙台市郊外に)福聚山慈眼寺を建立し、住職となる。

 

(※ 酒井ユウサイ大阿闍梨の「サイ」の正しい漢字は表示されないため、

 上記の表示になっています。)

 

〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜

 

私の3月の認識は、

 

『千日回峰行』という荒行中の荒行を満行なさった大阿闍梨さまが、

私の居住地の近くにいらっしゃる Σ(・□・;)⁉️

 

 

それは…スゴいのでは❓

一度はお目にかかりたいものだけれど…❗️

 

こんなミーハー的興味からそんなふうに思っちゃ

バチが当たりそう😆!

 

 

などと恐縮しながら、

「まだ早い!いつか必要なタイミングが来るのだろうか?」

 

 

と2度3度、『慈眼寺』の横を通り過ぎ、

さらに奥にある景勝地、秋保大滝などを眺めに行ったものでした。

 

 

 

そして半年後、講演に参加できる機会を得られたのは、

そのタイミングが来たということでしょうか🤔⁉︎

 

面白い流れです😊

 

 

 

太陽のような人になりたい

 

塩沼亮潤大阿闍梨は、その過酷な修行を達成なさったという意味では

仏教界、あるいは修験道でのヒーロー的な存在でしょう。

 

人間の限界を越えるような荒行❗️

 

 

しかし、その『千日回峰行』満行後のこれまでを、

「月のような人間だった」とおっしゃるのです。太陽ではなかった、と。

 

 

確かに講演で話された内容は、ピカピカ輝く眩しいお話ではなく、

ご自身の言葉にもありましたが、

「今まで、泥くさく生きて来た」という内容でもありました。

 

 

大阿闍梨となられた32歳から20数年後の今、現在、ここ数ヶ月で

やっと「焦りが消え、ゆとりに変わってきた」と…。

 

 

スポットライトが当たる人ほど、影もできる。

 今、やっとホッとして来た。やっと、ご恩返しができ始めた

のだそうです。

 

 

「山の修行より、仙台に帰ってからの修行が厳しかった」

 

言外に、むしろ大阿闍梨という高名ゆえなのか、

かなりのご苦労を重ねたことを感じ取りました。

 

 

つまりは、

「大阿闍梨さんが、俗世間の私たちに何をしてくれるの?」という、

声にならない声=期待を重く感じ続けていらしたのではないか?と。

 

 

責任の重さでしょうか。

「自分には何ができるのだろう」とのお悩みが、あったのでしょうか。

 

 

そんな💦❗️

いらっしゃるだけで存在だけで、

生きる見本とも、模範とも、なってくださっているのに…。

 

 

ただ、「月ではなく太陽として生きたい」という表現の深い意味。

 

マドモアゼル・愛氏の《月理論》を聞いておりますので、

何か示唆的でした。

 

 

あくまでも私的な感想です。

 

 

 

内面を磨き続けること、徳を積むこと

 

ご講演のメインの内容は、高尚で分かりにくいものではなく、

いわゆる、俗世間に生きる「私たち目線」の内容でした。

 

 

以下、そのポイントを書きます。

 

① 自分を育てるのは時間がかかる。

 

 毎日の生活が内面を磨くチャンス。

 

 

② 内面を磨く作業がある(出家得度のイメージ)。

 

その作業とは、

 

☆ 懺悔(サンゲ)すること

 

☆ 感謝すること

 

☆ 言葉を大切にすること

 

☆ 二枚舌は使わないこと

 

☆ 恨み憎しみを持たないこと

 

☆ 怒りを持たないこと

 

☆ むさぼりの欲を持たないこと、、、

 

➡︎ ネガティブをポジティブに変えるのが修行であり、

この世がまさに、修行道場である。

 

 

 

③ 内面を磨き続けるには?

 

☆ 足るを知ること

 

☆ 被害者意識から脱すること

 

☆ 執着を手放すこと

 

☆ 受け入れること

 

☆ それを毎日毎日、繰り返すこと(筋トレと同じ)

 

➡︎ 不快なことが起きても、「どうしてこうなるの🗯」ではなく、

「シャーないな(仕方ないな)」の精神で受け入れると、

結果的に周囲もなぜか変わってくる。

 

直接的に戦って、変えようとはしないこと!

 

(※ 受け入れるとは、私の言い換えです。)

 

 

 

ゆとりが、『悟り』に近づく道

 

以下は、講演後、参加者の質問にお答えくださった内容です。

 

 

☆ 日常の中に魂磨きのヒントがゴロゴロしている。

 

☆ 生かされているだけで感謝と実感する。

 

☆ 何か起きた時は、自分を鍛える学びのチャンス!

 

☆ 吹っ切れた時に、ぶっ飛んだ明るさがやって来る。

 

☆ 何かしら自分を表現していこう!

 

☆ 年齢は関係ない。私は100歳までも現役でいようと思う。

理想の自分を思い描き、挑戦し続けるつもり❗️

 

(この辺りも、修行好き……を感じさせますね(・・;) )

 

 

➡︎ 吹っ切れた時、ゆとりを感じるようになった時、

悟りというものも見え始めてくる。

 

 

※あくまでも私の言い換えです🙇‍♀️

 

 

 

まとめ

 

今回は、私の地元、宮城県仙台市にある『慈眼寺』の住職、

大阿闍梨の塩沼亮潤師をご紹介させて頂きました。

 

 

同じく大阿闍梨でいらしても、塩沼亮潤師は

上述の、酒井雄さい師とは異なるお役目なのだな、と感じました。

 

 

もちろん、それで良いのです。それぞれ違う。

 

日常生活が修行道場である』とのキッパリとしたご法話(説法)は、

シャキッと背筋が伸びるような真実だと思います。

 

まさにそのように生きることが大事で、

そう言って、言い続けてくださることが有り難いのです。

 

 

塩沼亮潤師は、『みみずプロジェクト』という企画を

今、展開していらっしゃるようです。

 

この目線、地を見つめる視点がとても有り難いです。

 

(ご興味のある方へ。詳細は、HPでお願いします。)

 

 

 

今回は、塩沼師の広告のようになってしまいましたが

実は、違うことも書きたかったのです……(汗)

 

(書けなかったですが…(^_^;))

 

 

長文をお読みくださいまして、誠にありがとうございました。

 

 

私たちも、毎日毎日の生活で、

魂を、内面を、せっせと磨いて生きましょう😊

 

そのような修行なら、私たちにも必ずできます❗️

 

 

 

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