はじめに

こんにちは。

スピリチュアルカウンセラーのガブリエル・クロです。

 

お読みくださいまして、ありがとうございます。

 

 

私ですが、これまで、何度も何度も浮かんでくる疑問がありました。

 

それについてビシッと答えを出していないと、あれこれの言説に囚われて迷ってしまう…そんな種類の疑問でした。

 

 

先ほど、一応の答えが体験上で出まして、ホッとしました。

 

立冬の日に食べそこなった「鍋もの🫕」を調理しながら、気づいたのですびっくり

 

 

そこで、忘れないうちに書いておくことに

 

それは、特殊なことではなく、いつもの話題です。

 

「幸せ」について♡です。

 

どうしても抽象的になりますが、ご容赦ください。

 

前記事の、『現状に祝福を見出すにも関連している気もします。

 

 

 

幸せって何?

おそらく自我が望む幸せ(自己実現・各種の成功など?)を超えて、《魂が望む・喜ぶことが幸せ》なのでしょう。

 

これに気づくためにこそ、生まれて来た…というようなドキドキ

 

 

その幸せは、既に持っていたりします。気づかないことが多いのです。

 

 

つまり、《今ここの体験を味わうこと》で達成できます。

なので、とても身近にあったりします

 

 

なのに「人生設計」こそ大切だ、それを達成するのが幸せだと思い込み、探し回って、機械人間になって、くたびれてしまう…。

 

誰しも、程度差はあっても、そんな傾向があるように思えます。

 

 

幸せがデフォルトだということ

古くさい言い方ですと、「幸せは所与のもの」。

 

もう少しくだけた言い方ですと、「幸せであろうと決めた時、既に幸せである」。

 

もう少し洒落た言い方ですと、これが世界観というか人生観を変えてくれると思うのですが・・・

 

幸せはデフォルト(初期設定)である」。

 

 

なので、「今ここで初期設定を生きればいい、体験すればいい」だけ。

 

幸せは、とても身近に転がっていたりするわけです。

 

おそらく、その「幸せさん♡」は、いかにも幸せそうな顔ではないため、自我の私たちは見逃すのでしょう。

 

その「幸せさん♡」が何なのか、静かに内観して気づく必要があるので、流される生き方をしていると見逃すのでしょう。

 

気づきのためには、内面の静けさが必要なのです。

 

 

ところで、「幸せこそデフォルト(初期設定)であるドキドキ

 

なぜ、そんなことが言えるのか?

 

私たちはここに来ていること自体が、大いなる源との繋がりがあるからです。

 

なので、今不幸だと感じてしまう方々は、すぐ側にある幸せをどうか見つけて、掬い上げてください爆笑

 

 

 

なのに、なぜ悲観的になってしまうのか?

 

それは、この初期設定を崩す力が、地球上で働いていたからです。

 

歴史的にも、陰惨で残酷な時代が繰り返されました。

 

今も、世界的にはそのような地域がありますし、日本にも。

 

なので、この初期設定を崩す力は、今も働き続けているはずです。

 

 

それに心痛め、色々考えたり行動したり教えを説いて回ったりした、優れた過去の偉人たちもいました。

 

 

現在も、心痛めている優しい方々がいらっしゃいます。

戦う方々もいらっしゃいます。

 

 

その中には、楽観主義の立場の方も、一方で悲観的な立場の方もいらっしゃるわけです。

 

 

どうか、皆さまは、たとえ厳しい現実を見ても楽観的でいてください!

 

 

これは、とても高度なワザです。

 

世には「お花畑🌷」とか言われたりします。

 

しかし、戦わないことで安寧が早く訪れたりします。

 

意識をどこにフォーカスするかで自分が変わり、結果、世界も変わるからです。

 

 

内心で抱えている怒りをぶつけたり、

悲しみを抱え込んだり、

自己犠牲・自己否定を続けたり、、、

 

そんな対応は、どうぞなさらないでくださいね❗️

 

 

 

 

ちょっとしたズレが、次第に大きくなる

こんな言説がしばしば飛び交います。

 

「幸せであることをあきらめなさい」

「魂の学びのためには、艱難辛苦も大切だ」…など。

 

 

なるほどと思います。

 

ところであなたにはシックリ来ますか?

 

あきらめる…については、執着すれば得られないという観点であればその通りです。

 

魂の学びについては…ちょっと違うような?

(魂は、既に完璧なのですよね……どうだろニャグラサン?)

 

 

こんな言い方も、よく聞かれます。

 

求めている時点で、「不足」から発しているから不幸せだ、とか。

 

求めている時点で、「既にかく在る」、つまり幸せになっているとか。

 

 

「あきらめる? 求める? 不足から求めちゃダメ?・・・どうすりゃいいのサ?」

 

 

どっちもアリで、捉え方によります。複雑です。

 

 

片方だけ見てしまうと、一歩ズレてしまい、次第に少しずつ大きくズレていきます。

 

 

結果、「思慮深い人間は、幸せを求めちゃいけないんだ〜」

 

そんなふうに誤解しがちですよね。

 

 

私は、求めていいと思っています。

 

求めている自分を「眺めている視点」を持っていれば、ズレることもないのではないでしょうか。

 

 

求めた結果、「何だ、今ここで体験してたじゃない❗️」と気づくのかもしれません。

 

 

 

まとめ

もう一度言います。

幸せは、デフォルト(初期設定)である」。

 

自我の幸せ(自己実現)でさえ、まずは求めていい、体験していい。

 

 

しかしその奥に、本当に見つけたかった「幸せの贈り物💝」があるはずです。

 

 

むしろ、今もその辺に転がっています。

 

失った時に初めて気づいたりするのですが、それだと悲しいです。

 

今、気づくと、幸せが花開きます🌷

 

喜びがあふれてきます♡

 

 

あなたが抱えている「幸せの贈り物」は何ですか?

 

人ですか? ものですか? 

仕事ですか? 関係ですか?

温かい意識の交流ですか?

 

それとも、もっともっと深いものですか❓

 

 

その多くは、残念ながら時間経過という三次元のお約束によって、現れたり消えたり、変化していきます。

 

ですから、今すぐ見つけてほしいのです爆笑

 

ヒントは「今の生活の中にある🗝」

 

かつて、なかなか見つけられなかった私からの、ご提案でした♡

 

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最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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なぜ、魂の求める幸せが、その辺に転がっているのか?

最初から決めて、そこへ向かって来たからです。

あるけど見えにくい設定〜〜😂あせる