駄六川(だろくがわ)
駄六川は、兵庫県伊丹市を流れる川で、伊丹市北部の瑞ヶ池(ずがいけ)などを水源としています。川は南下し、最終的に猪名川に合流します。法定河川としての延長は約3.3kmです。
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伊丹駅前 地図掲示板
歴史的に見ると、川の流域にはかつて北河原村や天津村などの農村があり、灌漑用水として利用されていました。また、猪名川との合流点付近は「川湊(かわみなと)」と呼ばれ、江戸時代には伊丹の酒を運ぶ水運の拠点でした。
伊丹観光略図(抜粋)
村重の時代の有岡城は、もっと広く、今のJR伊丹駅をまたぎ、駄六川が城郭近くを流れていました。
凡そ、黒線で囲った部分。
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「駄六川」の名前の由来
川の名前の由来は諸説あり、確実な史料で裏付けられたものはありませんが、主な説は以下の通りです。
• 酒樽/駄(だ)/駄送り説: 江戸時代、伊丹の清酒を運ぶ際に酒樽12個を「六駄(ろくだ)」と数えたことから、「六駄を積んだ船が通る川」にちなんで名付けられたという説。
• 橋の耐荷説: 「六駄の荷を背負った馬が渡ると橋が落ちる」という伝承に由来するという説。
これらの説は、地元の伝承や昭和期以降の文献で紹介されており、広く知られています。
現代の状況と名称の扱われ方
現代では、駄六川は洪水対策や環境整備の対象河川となっています。また、川の名称は、場所によって扱いが異なります。上流から中流は「駄六川」として知られていますが、猪名川との合流点より下流は、公的な地図や河川台帳では「猪名川」の一部として扱われることが多いです。
さて、戦国時代の武将、荒木村重と駄六川は深く関係しています。
織田信長の家臣だった村重は、天正2年(1574年)に伊丹城を改修して有岡城と名を改め、その際に駄六川を城の重要な防衛拠点として活用しました。
有岡城と駄六川の関係
有岡城は、猪名川の西岸にある台地(伊丹段丘)を利用して築かれた城です。荒木村重は、この天然の地形を巧みに利用しました。
• 天然の二重堀: 有岡城の東側には、猪名川と駄六川が流れていました。村重はこの2つの川を天然の堀として利用し、城の守りを固めたと考えられています。
• 城壁としての利用: 有岡城の東側には急な崖があり、駄六川はその崖の下を流れていました。この崖は、そのまま城の強固な城壁として機能していました。
このように、駄六川は単なる川ではなく、有岡城の防衛施設として、荒木村重の築城において重要な役割を果たしていたことが分かります。信長に反旗を翻した村重が籠城した「有岡城の戦い」でも、この地形が攻防の鍵になったとされています。
駄六川とその周辺は、歴史的に低湿地帯であったことがわかっています。特に、猪名川と駄六川に挟まれた地域、北河原村(きたがわらむら)や天津村(あまつむら)にあたる一帯は、水害の影響を受けやすい低地でした。市立伊丹ミュージアムの資料にも、この地域が「低湿地」であったことが記載されています。
湿地帯であったことの歴史的意味
この湿地帯という地形は、いくつかの歴史的な背景と関連しています。
• 農業用水: 湿地は、田んぼの開墾に苦労する一方で、豊かな水源となり、灌漑に利用されました。
• 有岡城の防衛: 戦国時代の有岡城(伊丹城)築城において、この低湿地帯は天然の防御施設として機能しました。敵が攻め入りにくい、泥の深い沼地や湿地が、城の東側を守る重要な役割を果たしていたと考えられています。
• 水運の拠点: 猪名川と駄六川が合流する川湊(かわみなと)は、湿地帯の地形を利用して舟運の拠点として発展しました。
https://www.city.itami.lg.jp/material/files/group/68/mizutomidori_setsumei.pdf
このように、駄六川流域の地形は、単なる自然環境ではなく、その後の地域の産業(農業・酒造業)や、軍事的な歴史(有岡城)に深く関わっています。
湿地帯の埋め立て:湿地帯であった地域は、戦後から高度経済成長期にかけて、住宅地や商業地として開発・埋め立てが進みました。そのため、かつての広大な湿地帯は、ほとんどが失われています。しかし、一部の公園や緑地、ため池などに、当時の地形や環境の片鱗を見ることができます。
• 有岡城址の整備: 荒木村重の有岡城があった場所は、城址公園として整備されています。駄六川は、この公園の東側を流れており、当時の城の防御機能を地形的に感じられる場所となっています。
参考資料
伊丹観光物産ギャラリー(JR伊丹駅内)
村重関連の書籍、グッズもあります
伊丹は旧摂津国のへそ(地理的中心地)、交通の要衝でした。その昔、伊丹氏がこの地を南北朝時代から約300年間治めていましたが、 織田信長配下の武将、荒木村重が伊丹氏を攻め、その拠点・伊丹城を落として、有岡城と改名、摂津守に就任した。
天正7年(1579)、有岡城は村重が信長に背いて攻め落とされ 廃墟と化したが、江戸時代にはその城下町・伊丹郷町(ごうちょう)は江戸積み酒造業 の一大拠点として復活。
また、俳諧文化が花開き、松尾芭蕉と並び称された 偉大な俳人、上島鬼貫を生み出した。
(伊丹市観光物産協会)
摂津へそ















