八月七日 月曜 晴 起床 七時四十分
           就寝 九時 〇分
 
  朝わたしがおきたときは、○○○ちゃんはもうおきていた。
  ひるは、レコードをかけてあそんだ。
  よるは、日記を五、六、七日のぶんをあわててやった。
 
 
 
 日記もネタが尽きたようです^^。
 
 そして、この日は「妹」と書かずに
 「ちゃん」付けで妹の名前を書いています。
 
 いつも名前だけで呼んでいました。
 なにがあった? 母の検閲と指示でもあった?
 この時の記憶はないので本当のところは
 わかりませんが母の勝手に検閲はいろいろ
 シビアでしたDASH!
 
 親の「改め」(良く言えば、監督)って反抗期が始まるきっかけの
 一つですよねニヤリニヤリニヤリ。。
 
 arakanは進学・就職で家を離れた時点で忘れていたですが
 30歳で父の病気介護で戻ってきて「書道をやる」と話した翌日、
 母が「●●先生に頼んで来たからね。」と のたまいます。
 「何も変わっちょらんプンプン
 通いたいと思っていた先生がいたので大喧嘩ですグー
 さすがにこの時は母も折れました。父も口添えしてくれましたし^^。
 
 こんなことは折に触れて繰り返され^^、呆けきってしまった
 いまも「執着」の対象という一点は変わらない。
 おかあさんって、頼りでありラブ、安心でありハート、守りであり爆  笑
 でも厄介でもありショボーン。 わかりませんニヤリ。。。。