八月一日 火曜 晴 起床   七時三十分
           就寝 午後十二時四十分

  朝ふとんの中でまんがの本を読んでいるとおとうさんが
 「きょうキャンプにいくよ。」といったのでとびおきた。どこにいくか
 きいたら島のうらで○○○○の◇◇◇◇◇◇所の人とキャンプをするので
 おとうさんもいっしょにいくのだそうです。
  夕がた五時ごろ家を出て、レーヨンへいった。バスのくる場所に行くと
 みんな集まっていた。おとうさんは、一人でわたしたちをさがしていた。
 おかあさんは、おとうさんがきたので帰った。
  貸切バスに乗ってしまのうらへむかった。除中(正:途中)はカーブが多く、
 バスが走っている三十センチむこうはがけだった。
  しまのうらの海の家についたのは六時ごろでした。
  中にはいってわたしは、小学四年生ごろここにきたことがあったことを
 思いだしました。
  夜は花火をして、レコードをかけて、おどりました。わたしと妹と
 ◇◇◇◇◇◇所の人の子どもは、手すりにつかまっておどりませんでした。
  夜は、十二時ちょっとすぎてねました。

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 父の職場は女性が圧倒的に多くて、一泊のこのキャンプにはだいたい
 誰か彼かの子どもが参加していました。
 キャンプとは名ばかりの海の家での宴席で、酒癖の悪い男性社員の姿を
 目の当たりにした子どもたちは、寄り集まってすっかり固まってしまって
 いました^^。

 それをたしなめる人もなく、母をはじめ、他の奥さまたちが誰も
 参加していなかった理由に後で思い当たったものです。

 しつこいオジサマから逃れる道がなくなって、海の家の2階から柱伝いに
 下に降りて、裸足で1階の海の家の台所のおばさんのところに行って
 しまったお姉さんを見て父に言いつけに行ったarakanプンプン

 「ほっといていい」という返事に仰天ハッキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロ
 そんな時って本当はたいしたことじゃなかったのかも知れませんが
 子どものarakanには「ザ・ガードマン」ぐらいのインパクトがありましたニヤリ

 その後、父もレーヨンからベンベルグの◇◇◇◇◇◇所に異動になり、
 キャンプに行くこともなくなりました。
 ホッとしたものです^^。