昼間とても暑く、ようやく夕方になって、車にガソリンをつぎにいこうとノロノロ動き出しました。

夫がプリペイドカードを作っていたガソリンスタンドです。

月に一週間くらい、チャージしたら商品券がもらえる期間があり、夫がそうしていたので、私も同じようにすることにしました。

改めてお得と感じ、「確かにお得!買い物上手!!」と、おそらく助手席に座っているであろう夫に話しかけました。

 

ところがエンジンがかからず、車屋さん、保険代理店、ロードサービス、各所に連絡して、故障ということでレッカー車が来ました。

結局エンジンのプラグというところにススがたまっていたということで、その場でエンジンの空ぶかしで直りました。

レッカー車で移動されることなく、お金もかからず済みました。まあまあよくあるトラブルとのことでした。

 

その夜、遺影の夫に報告しました。

 

焦ってびっくりしたけど、色んな所に連絡して、教えてもらいながら無事解決できたよ!

事故を起こしたとかではないから良かったのよ。

しかもトラブル発生から2時間くらいで解決したけど、その後当初の予定通り、夫さんの教えてくれたところに給油しに行ったよ。

私、甘えてばかりいたけど、頑張ってるよ、見守っててね…

 

 

今まで車の運転も給油も管理も全部任せて、私は助手席に乗せてもらってばかりいた。

闘病中、夫は調子の良い時は、死の恐怖を振り払うかのように、私を連れてあちこち遠出してくれていた。

青い空も山も田んぼも、私は見せてもらうばかりだった。

行った先の道の駅などでも、何か一つはご当地のものを買って飲食していた。

夫は先が長くないだろう、だから行けるうちに行っておこうと思っていたのかもしれない。

楽しい思い出だけど、やはり胸が苦しくなる。

癌発覚前のお出かけと、発覚後のお出かけの思い出のイメージが全然違う。

発覚前は屈託ないイメージだけど、後のは、やはりどこかしら悲しみが付きまとう。

3年以上かけてゆるやかに悪くなっていった。猶予があって、たくさん思い出が作れたと思えば良いのだろうが。

亡くなる3日前、病院の建物の周りを、私が夫の車椅子を押して1周した。

それが私たち夫婦の最後のお出かけとなった。

52歳の夫に先だたれた人生の先輩は、「十分、それでもう十分よ。急死で私なんてお別れなんて言えなかったんだから」とおっしゃった。

夫に甘えてばかりで、ひどいことも言ってきた。

ごめんねと遺影に言う。

LINEの夫の声、亡くなる数日前、苦しそうな息で「あとはたのむ」とボイスで言われている。

 

あとは頼む ちゃんと見送った。

あとは頼む その意味は他にも、私がしっかり生きることだと思う。

でも寂しい、苦しい、つらい、悲しい。

夫への感謝が大いに心を占める日まで、じっくり悲しみに向き合いたい。