7/13(土)に「長岡大花火 打ち上げ,開始でございます」(※感想は最下段に記載)というなかなか優れた映画を見た翌日,教え子と新潟県長岡市までドライブしました。
走行距離546km(往復)という日帰りドライブのほぼ限界です。
<行程>
・魚野の里
・道の駅南魚沼
・磯辺行久記念越後妻有清津倉庫美術館
・清津峡
・長岡花火ミュージアム
・おぢや震災ミュージアムそなえ館
・錦鯉の里
・越後らーめん維新湯沢本店
・越後川口PA
・寄居PA
↑魚野の里で笹団子入りソフトクリームを頂きました。
次いで↑道の駅南魚沼で魚沼産コシヒカリの昼食を食しました。
そのあと時間調整を兼ねて↑磯辺行久記念越後妻有清津倉庫美術館を訪れましたが,ここは所要30分といったところでした。
大地の芸術祭は前衛芸術なのでパッと見はおもしろくても,すぐに飽きてしまいます。
もう少し作品群を充実させれば違うのになあ~というのが実直な感想です。
↑清津峡へ。
ここは混んでいます。
土日祝日は予約必須なので注意してください。
↑清津峡のハイライトへは結構歩きます。
駐車場からの往復所要時間は50~60分ぐらいです。
飲食店や土産物屋も道沿いにありましたが,清津峡のある十日町市から長岡市まで65km(約70分)北上する予定なので立ち寄ることはしませんでした。
↑長岡花火ミュージアム自体は無料で入れます。
シアターは有料ですが,今ひとつタイミングが合わずに見合わせました。
無料展示部分だけだと所要時間は意外に短く30分もいれば十分です。
長岡から小千谷まで少し南下して,↑おぢや震災ミュージアムそなえ館を訪問しました。
ここも入館料無料です。
2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した新潟県中越地震の伝承施設ですが,ここの特色は3DメガネをかけてMX4Dで震度7を体感できることです。
大音響と共に襲ってくる激しい揺れはもちろんのこと,臭いも立ちこめます。
いったん揺れが収まっても,また揺れが起こるため何もできません。
液状化の簡単な実験や四択クイズなど展示物も工夫されています。
↑の写真はビニルハウスや体育館の避難生活の様子です。
所要時間は40分前後といったところですが,小千谷地方を通り掛かった際に立ち寄って損はありません。
同じく小千谷市に↑錦鯉(ニシキゴイ)の里があります。
江戸時代後期から明治期に現在の小千谷から長岡にかけての地域で,突然変異と交配を利用した鯉のカラフル化が進められ,錦鯉のメッカとなりました。
ここでは1匹数万円もする錦鯉がゆうゆうと泳いでは,入場者の投げる餌を求めてきます。
ランチは南魚沼市で南魚沼産コシヒカリの御飯を賞味しましたが,なかなか盛りがよかったので空腹にならず,越後湯沢まで南下してから↑越後らーめん維新湯沢本店に入りました。
昨年以来のリピートですが,ここもまたつけ麺の盛りがすこぶるいいです。
というか大盛り無料なので,当然大盛りを注文するわけです。
コシヒカリ入りの太麺はツルツルで,うどんにやや似ています。
量が多いため,同行者とは異なるメニューを注文し,自由に取れる小皿でつけダレを交換するなどして味変を楽しむといいです。
「長岡大花火 打ち上げ,開始でございます」
100分のうち70分は長岡の説明。
明治維新のさなか,河井継之助(つぎのすけ)を家老とする長岡藩が新政府軍に抵抗し,激戦の末敗れた戊辰戦争(北越戦争)から始まる。
これが焼け野原の一度目。
長岡が生んだもう一人の著名人は,太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)。
1945年(昭和20年)8月1日B29による長岡空襲の戦火に遭い,犠牲者1488名。
これが焼け野原になった二度目。
長岡花火はこのような歴史を負う郷土の慰霊と復興を目的に始まった…など。
2004年(平成16年)中越地震も含めて,その辺の歴史や地誌に興味がないと辛いかもしれない。
ちなみに映画では解説がなされなかったが,長岡駅が長岡城本丸跡に建てられたのは,それほど北越戦争での抗戦が凄まじかったから。
いったんは新政府軍に占領された長岡城が,河井継之助率いる決死隊によって再び奪還されるなど,双方ともに死傷者が累々と重なった。
ふつう明治維新後に旧来の城郭は行政施設として利用されている。
ところが珍しいことに長岡城は二度と復興できないよう,その跡地に駅舎が建てられてしまったのである。
大花火についてはみんなご存じの通り。
前夜祭の8月1日はかつて空襲が始まった22時30分から三発の正三尺玉が号砲を放ち,2日~3日の2日間で約2万発が打ち上げられる。
裏方で働く花火師や土建業者などの準備に取材し,当日の花火の模様はなかなか見られない打ち上げ現場からの映像も多い。
もちろん信濃川の河川敷から生で見るのには及ばずとも,この30分間の映像が素晴らしいことは言を俟たないだろう。