新井学院(橋本)~時に先生と生徒の邂逅も人生の転換点になりうる~

新井学院(橋本)~時に先生と生徒の邂逅も人生の転換点になりうる~

新井学院埼玉県さいたま市/北浦和)の橋本(英語&日本史講師)によるブログです。
内輪ネタは非公開とするため,誠に勝手ながら,アメンバーはメールまたはメッセージにて実名を名乗って下さった方のみ承認しています。

7/13(土)に「長岡大花火 打ち上げ,開始でございます」(※感想は最下段に記載)というなかなか優れた映画を見た翌日,教え子と新潟県長岡市までドライブしました。
走行距離546km(往復)という日帰りドライブのほぼ限界です。

<行程>
・魚野の里
・道の駅南魚沼
・磯辺行久記念越後妻有清津倉庫美術館
・清津峡
・長岡花火ミュージアム
・おぢや震災ミュージアムそなえ館
・錦鯉の里
・越後らーめん維新湯沢本店
・越後川口PA
・寄居PA

 

↑魚野の里で笹団子入りソフトクリームを頂きました。

 

次いで↑道の駅南魚沼で魚沼産コシヒカリの昼食を食しました。
 

そのあと時間調整を兼ねて↑磯辺行久記念越後妻有清津倉庫美術館を訪れましたが,ここは所要30分といったところでした。
大地の芸術祭は前衛芸術なのでパッと見はおもしろくても,すぐに飽きてしまいます。
もう少し作品群を充実させれば違うのになあ~というのが実直な感想です。

 

↑清津峡へ。
ここは混んでいます。
土日祝日は予約必須なので注意してください。

 

↑清津峡のハイライトへは結構歩きます。
駐車場からの往復所要時間は50~60分ぐらいです。
飲食店や土産物屋も道沿いにありましたが,清津峡のある十日町市から長岡市まで65km(約70分)北上する予定なので立ち寄ることはしませんでした。

 

↑長岡花火ミュージアム自体は無料で入れます。
シアターは有料ですが,今ひとつタイミングが合わずに見合わせました。
無料展示部分だけだと所要時間は意外に短く30分もいれば十分です。

 

長岡から小千谷まで少し南下して,↑おぢや震災ミュージアムそなえ館を訪問しました。
ここも入館料無料です。
2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した新潟県中越地震の伝承施設ですが,ここの特色は3DメガネをかけてMX4Dで震度7を体感できることです。
大音響と共に襲ってくる激しい揺れはもちろんのこと,臭いも立ちこめます。
いったん揺れが収まっても,また揺れが起こるため何もできません。
液状化の簡単な実験や四択クイズなど展示物も工夫されています。
↑の写真はビニルハウスや体育館の避難生活の様子です。
所要時間は40分前後といったところですが,小千谷地方を通り掛かった際に立ち寄って損はありません。

 

同じく小千谷市に↑錦鯉(ニシキゴイ)の里があります。
江戸時代後期から明治期に現在の小千谷から長岡にかけての地域で,突然変異と交配を利用した鯉のカラフル化が進められ,錦鯉のメッカとなりました。
ここでは1匹数万円もする錦鯉がゆうゆうと泳いでは,入場者の投げる餌を求めてきます。

 

ランチは南魚沼市で南魚沼産コシヒカリの御飯を賞味しましたが,なかなか盛りがよかったので空腹にならず,越後湯沢まで南下してから↑越後らーめん維新湯沢本店に入りました。
昨年以来のリピートですが,ここもまたつけ麺の盛りがすこぶるいいです。
というか大盛り無料なので,当然大盛りを注文するわけです。
コシヒカリ入りの太麺はツルツルで,うどんにやや似ています。
量が多いため,同行者とは異なるメニューを注文し,自由に取れる小皿でつけダレを交換するなどして味変を楽しむといいです。

 

「長岡大花火 打ち上げ,開始でございます」
100分のうち70分は長岡の説明。
明治維新のさなか,河井継之助(つぎのすけ)を家老とする長岡藩が新政府軍に抵抗し,激戦の末敗れた戊辰戦争(北越戦争)から始まる。
これが焼け野原の一度目。
長岡が生んだもう一人の著名人は,太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)。
1945年(昭和20年)8月1日B29による長岡空襲の戦火に遭い,犠牲者1488名。
これが焼け野原になった二度目。
長岡花火はこのような歴史を負う郷土の慰霊と復興を目的に始まった…など。
2004年(平成16年)中越地震も含めて,その辺の歴史や地誌に興味がないと辛いかもしれない。
ちなみに映画では解説がなされなかったが,長岡駅が長岡城本丸跡に建てられたのは,それほど北越戦争での抗戦が凄まじかったから。
いったんは新政府軍に占領された長岡城が,河井継之助率いる決死隊によって再び奪還されるなど,双方ともに死傷者が累々と重なった。
ふつう明治維新後に旧来の城郭は行政施設として利用されている。
ところが珍しいことに長岡城は二度と復興できないよう,その跡地に駅舎が建てられてしまったのである。
大花火についてはみんなご存じの通り。
前夜祭の8月1日はかつて空襲が始まった22時30分から三発の正三尺玉が号砲を放ち,2日~3日の2日間で約2万発が打ち上げられる。
裏方で働く花火師や土建業者などの準備に取材し,当日の花火の模様はなかなか見られない打ち上げ現場からの映像も多い。
もちろん信濃川の河川敷から生で見るのには及ばずとも,この30分間の映像が素晴らしいことは言を俟たないだろう。

 

 

 

教師をしていると,多くの生徒が教師の言うとおりに行動しないことがわかります。
おそらくこれは,教壇に立ったことのない評論家や学者,作家などの頭から抜けていることです。
例えば次の問題を確実に遂行できる生徒は10人中せいぜい1人か2人といったところです。

<問題>
「箱の中からみかんと桃を全て取り出すこと」


<成績の伸びない生徒の10パターン>
パターン1
何を取り出すのか聞いていない生徒
パターン2
何を取り出すのか聞いたが次の瞬間忘れてしまう生徒
パターン3
箱の隣に置かれていた袋の中からみかんと桃を取り出す生徒
パターン4
みかんだけ取り出す生徒
パターン5
みかんと桃を全部ではなく一部だけ取り出す生徒
パターン6
みかんと桃と梨を取り出す生徒
パターン7
箱の中を見てみかんと桃が入ってないと勝手に判断し,底の方まで確認しない生徒
パターン8
「はい」と返事だけして結局やっておらず,理由をただすと「忙しかった」などと言い訳する生徒
パターン9
明日かさもなくば来週にでも取り出そうと思ってそのまま放置する生徒
パターン10
この問題に何か裏があるのではないかと考え,固まってしまったり,あるいは「みかん」を辞書で調べたりして,結果的に何も取り出していない生徒

~最難関国公立大学~
東京大   1名
文科二類   1名

 ~最難関私立大学~
慶応義塾大   1名
文学部    1名

早稲田大   6名
政経学部(経済)    1名
文化構想学部    2名
文学部    2名
教育学部(社会)    1名

上智大   2名
文学部(史)    1名
理工学部(物質生命)    1名

~難関国公立大学~
北海道大   1名
理系総合    1名

~難関私立大学~
東京理科大   2名
創域理工学部(先端物理)    1名
創域理工学部(応用生命)    1名

立教大   5名
法学部(政)    2名
社会学部(現代文化)    1名
文学部(日文)    1名
理学部(生命)    1名

明治大   5名
政経学部(政治)    1名
経営学部   1名
理工学部(機械)    1名
文学部(心理)    1名
文学部(史)    1名

中央大   6名
法学部(法律)    1名
法学部(政治)    1名
国際経営学部    1名
国際情報学部    1名
文学部(英)    1名
文学部(教育)    1名

学習院大   1名
文学部(史)    1名

法政大   3名
法学部(国際政治)    1名
経営学部(戦略)    1名
現代福祉学部    1名

芝浦工大   1名
理工学部    1名

~中堅国立大学~
秋田大   1名
理工学部(物質化学)    1名

~中堅私立大学~
東京女子大   2名
現代教養学部(国際社会)    2名

 

文教大   3名
教育学部(幼児)    2名
文学部(英米)    1名

成蹊大   1名
文学部(英米)    1名

 國學院大   1名
経済学部(経営)    1名

明治学院大   1名
文学部(英)    1名
 
日本大   1名
工学部(生産)    1名

東洋大   3名
経営学部(経営)    1名
文学部(教育)    1名
理工学部(機械)    1名

獨協大   1名
経済学部(経営)    1名

~その他私立大学~
昭和女子大   1名
国際学部(英語)    1名

大東文化大   1名
文学部(教育)    1名

帝京大   1名
経済学部(経営)    1名

千葉工大   2名
工学部(先進)    1名
工学部(創造)    1名

ドヤ街という言葉は聞いたことがあるでしょう。
ところがその意味を正しく知っている人は少ないかもしれません。
貧民窟(スラム)と誤解されることがままありますが,正しくは安宿街という意味です。
そもそも「ドヤ」というのは「宿」の逆さまから生まれた言い方で,一般の人が宿泊しないような施設を指し,日雇いなどの低賃金労働者や社会的弱者を客層としていました。
ドヤ街はスラムに発生する傾向があるため,いつしかドヤ街がスラム街と同じニュアンスを持つようになってしまったのです。
 

今日国内最大のドヤ街は大阪市西成区あいりん地区で,旧名は釜ヶ崎といって歴史にも取り上げられます。
武田麟太郎に「釜ヶ崎」という短編小説があり、戦前の状況がわかる資料としても興味深い内容です。
近代日本のスラムの中には被差別部落に発生したものがあり,江戸時代の穢多(えた)といえば士農工商から遠ざけられていたと誤解されがちですが,彼らは都市民の生活に欠かせない「不浄」な仕事に従事していたことから,江戸でも京都でも民衆と隣り合わせの地に集落を形成していました。

かつての釜ヶ崎,今日の西成区あいりん地区に話を戻せば,JR及び南海の新今宮駅の南部に位置しますが,わかりやすく説明すれば大阪城から南へ7~8kmぐらい下った辺りです。
四天王寺からは2.5kmという至近距離です。
10年近く前にも私は歩いてみましたが,先週末もひとまわりしてみたところ,ずいぶんきれいになったなというのが最初の印象です。
もちろんホームレスもここかしこに見受けられますが,全般に清掃が昔に比べて行き届いています。

甘酒を配給しているところでは,20~30人が談笑に興じているようでした。
そんな中,若い女性でも一人で普通に歩いています。
外国人観光客が急増しているのも窺えますが,それはあちらこちらにある1泊1500~2000円の安宿にバックパッカーなどが押し寄せているのも理由の一つです。

ただし,相変わらずの光景もすぐに目に付きます。
人生の終末期にあるような痩せこけた老人が道端に座り込んでいる姿は所々で目に入ります。
職務質問を受けている途中で逃走する男も目撃しました。

スーパー玉出(たまいで)というチェーン店が点在し,かつては100円台というとんでもない安価な弁当などを売っていましたが,2018年に経営破綻し,今は経営母体が変わりました。
そのうち2軒を覗いてみましたが,おにぎりは1個60円台と常識的な安さです。
周辺の激安店と比較してみると価格の安さは,
業務スーパー≧トライアル>玉出≧ドン・キホーテ
の順かなというのが主観的な見立てです。
玉出で私が購入したのは,昼飯用に半額弁当2ヶです。
198×0.5×2+消費税=213円
でした。
味は至って普通でした。
かつて噂されていたような,臭いとかまずいということは全然ありません。

宿泊したホテルは1泊1800円です。
トイレ・流し・浴場・シャワー室などが共用です。
石鹸・シャンプーも備わっていますが,歯ブラシ・タオル類はないので持ち込むかフロントで購入する必要があります。
事前に調べてタオル類は携行しましたが,うっかり歯ブラシを忘れてしまったため,100円払って買いました。
よって宿泊費用は1800+100=1900円となりました。
四畳半の室内のベッドのふとんは幸いふかふかです。
エアコン・テレビ・冷蔵庫はありますが,ティッシュはありません。
花粉症の時期だったらちょっと困ったことになったかもしれません。
室内や館内の清掃は普通に施されています。
ロビーにはレンジやポットが用意されていますが,ゲストハウスではないのでキッチンはありません。

 

以下,今回撮影した写真を数枚紹介しましょう。

 

あいりん地区を紹介する記事でよく登場する↑のような場所(ホームレスの住まい?)はほんの一画のみです。

 

↑ホテルに持ち帰ってロビーの電子レンジで,玉出で購入したリゾットとビーフカレー風シチューを温めてみました。
ラベルが薄黒くなってしまったのはレンジで温めたせいです。
(もちろん玉出にもレンジは備えられています。)
食あたりとかも起きませんでしたし,それよりもなかなかおいしかったです。
あいりん地区へ来たらスーパー玉出で買い物というのも,今や観光名物みたいなものです。
弁当や惣菜以外の商品もざっと見廻してみましたが,普通の安さです。
ドラッグストアよりも安いか同等で,ディスカウントストアよりはやや高いと評価できます。

 

以上,今回は大阪のあいりん地区(日本最大のスラム街にしてドヤ街)の現況を素人目線でレポートしました。

6/23(日)はぶらぶら散歩がてらに,大阪城近くに点在する歴史関連の建物を訪れてみました。

ただ大阪って埼玉と気温が同じぐらいでも海に近くてビルで風通しが悪いせいか蒸し暑いですねえ~。


<行程>
・旧緒方洪庵住宅&適塾
・北御堂ミュージアム
・大阪歴史博物館
・NHK大阪ホール

 

↑緒方洪庵は幕末期に主に大坂で活動した医師でしたが,オランダ語を教える適塾を屋敷に併設しており,福沢諭吉や大村益次郎,佐野常民,長与専斎などの大物が塾頭を務めたことでも知られています。
適塾の教室は1階の玄関近くの部屋が充てられていましたが,寄宿寮は2階の大部屋です。
1人1畳ずつ,成績順に好きな畳を選ぶことができたため,入塾したての初学者は庭から遠い日陰の隅っこになったでしょう。
隣接して貴重な辞書が保管されている部屋があり,部屋から持ち出されることが禁止されていたため,真夜中でも辞書を書き写す塾生の蝋燭の灯が消えることはなかったようです。

 

↑京都の西本願寺を本山に仰ぐ本願寺津村別院は北御堂と呼ばれています。
(これに対して京都の東本願寺を本山に仰ぐ浄土真宗(一向宗)の寺院は大谷派となります。)
北御堂にはミュージアムが併設されているので,開祖親鸞以降簡単に真宗の流れがわかります。
写真の阿弥陀様は室町時代の法主だった蓮如が信者(門徒)に与えていたものです。
真宗寺院は西本願寺・東本願寺以下無料で拝観できるので助かります。

 

↑大阪城のすぐ南にある大阪歴史博物館は,7世紀孝徳朝の前期難波宮(難波長柄豊碕宮)と8世紀聖武朝の後期難波宮の跡地に建てられています。
そのため建物の下部に一部7世紀時代の竪穴などが残されています。
前期難波宮は掘立柱建物でしたが,後期難波宮は礎石建ちでした。
日本の都では藤原京以降が礎石だと受験日本史で学びます。
後期難波宮に劣らず前期難波宮が広壮だったことが窺われ,朱雀門もあったとは驚くばかりです。
すぐ近くに5世紀(中期古墳時代)の大倉庫群の竪穴跡も見つかっています。
5世紀と言えば讃珍斉興武の時代ですが,日本No.1とNo.2の大山古墳と誉田御廟山古墳が大阪にあったことと考え合わせると興味深いところです。
大阪城の周辺はおおむね,
難波宮→石山本願寺→大坂城→大阪砲兵工廠→大阪城公園
というふうに変遷したわけです。
明治維新から商業の中心も東京に移っていくなか大阪の地位の低下を食い止めたのが,涼しい両眼でもって日本史選択のJKを魅了し続ける薩摩出身五代友厚です。

6/16(日)は大学2年生と群馬県内をドライブしてみました。
参考までに行程を掲げておきます。

<行程>
・かみつけの里博物館
・棚下不動の滝
・吹割の滝
・生ゆば豆腐町田屋白沢店
・青龍山吉祥寺
・岩観音菩薩磨崖仏群
・石尊山観音寺
・香里園(さくらんぼ狩り)
・迦葉山龍華院弥勒護国禅寺
・小野池あじさい公園

 

↑高崎市のかみつけの里博物館は,5世紀(古墳時代)の毛野氏と推定される豪族の前方後円墳跡に隣接していますが,近くに三ツ寺Ⅰ遺跡という豪族居館跡もあるところです。
群馬県の古墳は形象埴輪の一大産地です。

 

↑棚下不動の滝は前回(4月)と比べて水量が半分ぐらいでした。
最近は雨がほとんど降っていなかったから仕方ありません。

 

↑吹割の滝は私自身は何度も訪れたことがありますが,今回は過去一に流量がありませんでした。
前回の5分の1ほどで,岩盤が大きく露出しています。

 

↑生ゆば豆腐町田屋白沢店は,800円でゆば,寄せ豆腐,煮物,おから,サラダなどが食べ放題です。
何度もリピートしている私は生ゆばをすくうよりも,がんもどきやさつま揚げなどの練り製品をたくさん頬張りました。

 

↑花寺という通称のある吉祥寺は素晴らしい寺院でした。
私がこれまで参拝したなかで関東一といっても過言ではありません。
そんなに境内は広くありませんが,階段で中へ入れる山門から始まって,池水・枯山水・方丈・仏像・欄間・宝物館などひと通り揃っています。
参拝料は800円と高めですが,宝物館の入館料も含まれており,満足感もひとしおです。
ここは群馬ドライブにぜひ推奨しておきます。
果物狩りができる果樹園がいくつも近在しているので,それらと絡めるのがいいでしょう。

 

↑岩観音菩薩磨崖仏群は,よほど時間が余っていない限り割愛してもいいでしょう。
磨崖仏の優れた本場は大分県です。

 

↑石尊山観音寺は石仏が多くあります。
こちらは参拝料もかからず15分もあれば一周できるので,ドライブ旅行の時間調節用にも使えそうです。

 

↑前回の群馬ドライブ(with 大学1年生)の果物狩りでは「白いいちご」がメインでしたが,今回の群馬ドライブ(with 大学2年生)では「黒いさくらんぼ」がメインです。
日本のさくらんぼの代表は佐藤錦ですが,さくらんぼは短い時期の中で次々と主役が交代します。
本日の香里園でも佐藤錦はありましたが,まださほど熟していませんでした。
早生種の紅さやかという黒いさくらんぼの方が旬で甘みがありました。
なぜ黒いかといえば,佐藤錦とアメリカンチェリーが掛け合わされた品種だからです。
私は毎年のように教え子を伴ってさくらんぼ狩りをしていますが,微妙な時期のズレで主役が佐藤錦になったり紅秀峰になったりナポレオンになったりします。
だいたい2000円/人ですが,元は取りやすいと言えます。
 

↑迦葉山龍華院弥勒護国禅寺は山通が時計回りに一方通行です。
最初に出てくる山門のやや手前に無料駐車場がありますので,まず山門を見学してから,もう一度車に乗って拝殿の方へ向かうといいでしょう。

 

↑最後は小野池あじさい公園です。
ここは駐車場がわかりにくいので,ちょっと離れている神社や仏閣の駐車場を拝借するのがいいでしょう。
地図上では広い公園ですが,散策できるルートは限られています。

 

 

 

新井学院の建物は現在外壁の修復および塗装工事を行っていますが、平常通り営業しております。

建物の右わきの入口・階段から遠慮なくお入りください。

不便をおかけしていることを陳謝いたします。

 歌舞伎についてといっても専門的なことは何も書けませんが、毎月歌舞伎座や新橋演舞場に足を運んでいる身なれば、素人目線なれどもその魅力の一端でもお伝えできればと思います。


※歌舞伎座にて撮影 


 歌舞伎ってのも残酷な世界です。

 成田屋とか中村屋とか萬屋とか言って歌舞伎俳優はほぼ世襲です。

 現代の我々に許されている職業選択の自由がありません。

 子役や下積みから始まり、一生その道を歩み続けることが宿命づけられています。

 今月中村獅童の三男夏幹君(3歳)が初舞台を踏みました。もちろんセリフもある役でしたが、彼には生まれつき両の小指が欠損しています。


 歌舞伎界と好対照を成すのが芸能界です。

 後者に属する俳優は終始生存競争に晒されてまた別の残酷な世界に生きています。

 魅力が剥落したり人気が凋落したりすれば、否応なしに表舞台から去らなければなりません。

 一生続けたくても続けられない辛さと、一生続けなければいけない辛さの対照です。


 その著しい対照が、演劇の性質を二分します。

 歌舞伎俳優は、たとえ身長が低くても、ルックスに恵まれなくても、お客さんを魅了し続けなければいけません。

 そこに求められるのは果てのない修行と研鑽です。

 何度も撮り直すことができない舞台で常に一発で決める正確さや迫力です。

 中には運動神経の優れない役者もいるでしょうが、若手なればこそ舞台どころか狭い花道でバク転宙返りをやってみせねばなりません。

 これが世襲という看板を背負った芸事の求道魂です。

 近松門左衛門や河竹黙阿弥の手になる大家の脚本を、一介の役者に合わせて手加減するなんて愚かな真似はできねえのです。

 一生かけてでもその役になりきるための稽古を積むしかないのです。


 歌舞伎俳優は伝統的に全員男性なので男役と女役とに別れたりしますが、下積みの時代は両方こなします。

 50代の中村獅童ですら女役が回ってくる幕があったりします。

 女・男の違いだけでなく、大名・武士・商人・僧侶・盗人といった身分の違いが、服装だけでなく挙措や仕草から完全に調和しているのが歌舞伎の世界です。

 一昨年13代を襲名した市川團十郎は来月の公演で1人13役を演じます。

 次々と全く別人に扮して物語が進行することでしょう。


 歌舞伎と言えば大掛かりな立ち回りや一つ一つのポーズのカッコ良さもさりながら、スポットライトが当たっていない脇役が微塵も動かず同じ姿勢を保ったまま背景となっているのも特徴の一つです。

 動と静の一糸乱れぬコントラストは見事です。


 最後に歌舞伎を鑑賞する際の私の好きな席を書いておきます。

 とちり席といって一番見やすいのは1階中央の真ん中ですが、もちろん予約するのは困難です。

 歌舞伎では、右側上手、左側が下手になります。

 舞台上の役者から見ると左右が反対になるので、古来のしきたりに従って左が上手、右が下手になり、花道は下手側に通っています。

 混乱しないように観客の視点での左右に戻しますが、大物役者は舞台の左(下手)側に陣取って、右(上手)側に表情を向けている割合が極めて高いです。

 花道でもほとんど前か右に顔を向けます。

 とはいえ(桟敷席を除く)上手側に座ると常に顔を左に向けなければいけないため首筋が疲れます。

 そこで私の好きな席は花道の内側です。

 ただそこも取れない場合はいわゆるドブ席といって花道の外側にします。

 とにかく役者の表情が間近に見えるし息遣いも聞こえ、立ち回りの場面では着物の裾が触れそうになります。

 これが二階席や三階席になれば話は違います。下手側は花道が見えなくなるからです。

 中央から上手側の一列でも前列の席を取るのがいいでしょう。

塾の中には小学生の自主性を尊重して,まずは自習室形式で勉強させ,わからないところを先生に質問する形態を採っているところが少なくありません。

 

新井学院の小学生個別指導は,そのような形態ではありません。

小学校の勉強で落ちこぼれないことを第一の主眼とする以上,生徒のペースに合わせてばかりでは達成できない子供も出てきます。

 

まずは指導者の側が最低限のカリキュラムを決めてあげ,自主性はそれ以上の+αの部分で任せればいいのです。

 

以上,石原学院長の考え方を代弁してこちらに記載しておきます。

年初に多くの専門家(自称・他称を含む)がNISA口座にはS&Pやオルカン(全世界)を推奨していました。

SOX一択だと言っていた人は私の知る限りいませんでした。
しかし私の周囲では私自身がSOX一択だと連呼していたこともあって,みんな含み益を謳歌しています。

 

↑は年初来の日足チャートです。
どれもレバレッジと為替ヘッジは無しを選択しています。

・SOX(フィラデルフィア半導体株指数)…赤
・NASDAQ…濃紺

・S&P…緑

・オルカン…黒
・日経平均…黄
いよいよSOXが抜けてきたことがこのグラフからわかります。

NISA口座(成長投資枠)は個別銘柄も買い付けることが可能です。

しかしこちらはさらに難易度が上がってしまいました。

とりわけNTT,KDDI,ソニー,パナソニック,オリエンタルランド,カバーなんて買ってしまった人(たぶん初心者)のNISA口座は,今頃含み損に喘いでいるはずです。

トヨタ自動車や任天堂や日本マクドナルドでさえ買い付けたタイミングによっては含み損に陥っている可能性があります。

優待につられて鉄道や外食などを買ってしまった人は,資産が漸減していて辛い日々を悶々と過ごしているかもしれません。
ご愁傷様なことです。

株式投資で勝つには,それ相応の勉強と知識のアップデートが日々要求されます。
仮に投資を始めて間もない時期に儲けたとしても,それはビギナーズラックだったとあとになって痛感させられるものです。

私が年頭に,今年の相場の主役はSOX(半導体)だと見抜いたのも,これまで修羅場を何度もくぐり抜けて研鑽した結果です。


受験と相場の共通点は,
「諦めない限り負けは無い」
です。

では,勝つためにはどのような作戦が必要でしょうか。

それを初心者向けに最後に書いておきます。

 

相場で大切なのは,勝てるか負けるかわからない戦場は避け,確実に勝ち点が取れる戦場を選ぶことです。

かつて保元の乱(1156年)のみぎり,平家軍の正面の敵が強弓で鳴る鎮西八郎為朝にぶつかってしまった際,平重盛は父清盛に持ち場を変更してもらうよう具申して勝利を掴みます。

翻って東大受験の数学でも,いかに得点に繋げられる問題を前半で見抜くかが勝負の行方を占います。
1番から順々に全問完答する受験生なんて,東大合格者でさえほとんどおりません。
相場における損切りというのは戦場の変更を含意するゆえ,決して厭うべきものではありません。