菅島を歩く 灯台へ
鳥羽佐田港11時50分発「菅島行き」は坂手島経由で到着。晴天4月の港に降り立った。観光客は私一人。無人の乗り場で島地図をゲット、島人に尋ねた一軒だけの軽食屋さんを訪ねた。店のおばさんから「時間がかかりますよー」と言われて、断念。コンビニおにぎりがまだ二つある。
まず目的地の灯台へ。そこに老人が日向ぼっこ。聞けば、90歳。話しかけると、「ひとつで父と兄を海で失った。苦労一代! 7年前から天国で暮らしている」という。誰が? と問えば、奥さんだった。「苦労一代! 」と繰り返す。漁船で染み込んだ苦労が日焼けしたお顔に浮かんでいる。言葉は「添え物」だ。
また歩きだす。坂道を歩き続け、しろんご浜に立ち寄より、休憩だ。海女が活躍した浜と聞く。隣は白髭神社の浜鳥居、シラヒゲがシロンゴになまったとか。
しばらく坂を登ると、明治6年から今も現役の白亜の灯台が見えた。桜の花の上に白い頭を出している。灯台へ続く道。青い海にずんぐりとした白い灯台。レンガ造りの日本最古を独り占め~~
しろんご浜を登れば、灯台が~
脇道へ逸れ、山道300m。監的哨(かんてきしょう)跡へ。戦時中に大砲の試着弾を目視して確認するための施設で、高台に真四角のコンクリ廃墟。昭和4年に建造され、錆びついた鉄骨がむき出しの10畳ほど。底知れぬ真昼の闇にコンクリを残している。
村に下りて、冷泉寺を知ってる? と小学生3人に尋ねると、「連れて行って上げる」と。ここに南北朝時代の鰐口(わにぐち)が秘蔵されているという。「どう、ここに流れついたものか」。今日は寺壁に布団が並んでいる。
「次は何処へ行くの? 」と問われ、菅島神社と応えると、「小学校の隣だよ。生徒は21人だよ」と教えてくれた。道先に唯一らしい雑貨店があったので、饅頭と土産に塩のりの佃煮を買った。神社に腰を下ろし、饅頭を頂いた。
校庭に満開の桜木とブランコ。校舎と水平線。時計の針は3時30分を指している。春休みの人気のない校庭を幻の少年が駆け回っている。少年は「あなたは何をしているの? 」と話しかけて来る。坂をもう少し上がってみよう。
海の見える小学校に桜かな
16時10分発、菅島に別れを告げ、特急電車に乗った。私の隣に赤ちゃん連れのお母さんがいっぱいの荷物を抱えて座った。やんちゃな男の子が足を伸ばすたびに私の太ももを無邪気に蹴飛ばす。尋ねれば、母が2歳と応えた。滞在時間4時間の島旅と赤子からの嬉しいプレゼントだ。







