松代大本営へ行く

 

 友人Iさんは「知覧特攻平和祈念会館」に続き、長野県松代大本営跡へ誘ってくれた。車で片道5時間。彼がまた一泊のお宿も手配してくれ、「さあ、行こう」と言われれば、断る理由は見当たらない。

 

    平和祈念館は二つあり、いずれもごく小規模で、それぞれに年配の女性館員が一人ずつ。私の好きな手作り感がいっぱい。見学者も私たち二人だけだったから、懇切丁寧に解説してくれた。そんな説明を聞いた後に「地下大本営跡」にヘルメットをかぶり入った。

 

入口

     案内の方は「年間10万人が訪れる」と言う。本日は10名ほどの団体にノルウェーからの男性と私たちも加えてもらった。暗い坑道を案内されれば、岩肌が湿っている箇所もある。手に押し当ててみれば、今なお染みて出る男たちの冷たい汗のようにも感じる。坑道に流れる風は血の匂いまで運んできそうだ。

坑内 

    松代大本営は太平洋戦争末期に、長野県松代の山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道。施設は本土決戦にも備え、首都を移転するために造られた。

    日本の生命線、サイパン島陥落後の1944年7月に着工され、大本営・政府機関が用意された。現在、象山地下壕のみが一般公開され、三山に設けられた地下壕の長さは10kmにも及ぶという。また別に陛下のための仮御所も公開されている。

    掘削も造営工事は6000人の朝鮮の人の手で行われた。監視監督者だけは日本人。こんな内容だから、衝撃だ。東条英機首相以下、何を血迷っていた???

10畳の仮御所 

    「大本営見学」は戦後生まれの私なりの最終章。ここは幕末の英傑佐久間象山先生が生まれた地。象山神社には先生が祀られている。当時の陸海軍のトップは余りに稚拙に未来を見誤った。先生も坂本龍馬もさぞお嘆きだろう。

 

象山神社の象山先生

六文銭と城跡(写真は復元の櫓)

    10万石の松代城下には「六文銭」マークが各所に見られた。三途の川を渡るには六文の銭が必要とされ、真田氏決死の覚悟の旗印である。真田氏は関ケ原の合戦の際に、兄弟が東軍と西軍に分かれて、それぞれに味方し兵を動かした。結果として、東軍側の兄家が残った。

     さて宿の松代温泉旅館は嬉しい平屋建て。その夜は美味しい夕食を頂き、罰当たりにも鉱泉と旨酒に酩酊した。

松代は美しいなあ~