凡人午睡

 

 三島由紀夫氏に「天人五衰」という小説がある。が、凡人は勝手に午後のまどろみと解釈し、ある夏の日、小島のひなびたお寺の縁側で寝っ転がった。

   その日は歩き疲れて、午後お寺にたどり着いた。訪れてみると、お堂の縁側が「本日の一番参拝者さん? よくいらっしゃいました。休んでいきなされ」と差し招く。

 

   我が意を即座に汲んでくれたものと合点して、縁側にリュックを下ろし、午睡となった。柔らかい風がTシャツを膨らまし、汗の肌を滑っていく。青い空に甍の頭が並んでいる。目を転じると、大木の葉群れに太陽が顔を出したり隠れたり。本日のお天道様も炎天が西の方に衰えつつある。

   天界にも衰えがあるらしい。古びた堅い縁側がふわりと空飛ぶ絨毯のよう。そこへおばさんが供花を携えてやって来た。私が「ここで休ませてもらっています」と断りを入れると、「どうぞ、どうぞ」とおっしゃり、お堂の隣に並んだ墓石へ消えた。

 

   しばらくして縁側を下りて、私が話しかけると、島の色々な事情を話してくれた。「お彼岸ですよ」と口にして、私が「こちらも造花が多いですね。私の田舎は鹿がついばんで、夜になれば、墓荒らしに変身するんですよ」と応えると、「あなたは山育ちらしいね。こちらは不在の方が多いからですよ」と。

   そして私が小学校と思い込んでいた島の学校は、「中学校も兼ねていますよ。総勢30人ほど。島の学校は生徒ほどの先生がいるから、とても恵まれていますよ。半数ほどの生徒は本土から船でやって来ますよ。」と。そうかあ~、学び舎の門を出ずれば、いいなあ~、浜の海に出る。

学校のお名前は しおさい学校

 

   おばさんを見送ると、また縁側に寝そべり、凡人午睡。五時過ぎの出航時間に合わせて、お寺を出た。ぶらぶらと島の路地を巡っていると、おばさんが私を見つけて、「そこの小路からも船着き場に行けますよ」と教えてくれた。

   船着き場でまだしばらく時間があるので、浜に下りて土産に石ころを探した。さて時刻と戻ってみると、小中学生が乗船口に並んでいた。数えてみると、車椅子の子も含めて13人。優しい学校なのだ。

 

   仏法用語の天人五衰は色々な高僧方が色々な説を唱えているようだ。私のような凡夫は「凡人午睡」がぴったり、おばさんのお話が妙なるご講話。帰路海上に落ちていく夕日がひたすら美しかった。