今日は誕生日である。
5年ぶりにブログを書いてみることにした。
タイミングとはこう言うふうにやってくるものなのだ。
少し寝坊してしまったが、最近気に入っている「朝日を見に行く散歩」を決行。
携帯を持たずに(ルール)、時計をして、コートを着て出かける。
今日もいい朝日を拝めた。大きなオレンジ色の朝日。
寒波が来ているらしく、少しいつもより寒かった。
朝から家族、友人たち、チームのみんなにお祝いの言葉をもらい、またe-birthday cardまでもらい、ごきげんであった。
ある友人からは、マニアックな本をデジタルでプレゼントしてもらった。
私ってしあわせだなあ、ありがたいなあとしみじみと感じながら、今日を過ごしている。
子どもの頃から、あまり派手に誕生日を祝ってもらった記憶があまりない。
私は昔からなぜかあまり注目を浴びるのが好きではない(本当は浴びたいのかもしれない、でも浴びてはいけないと刷り込みがあった可能性がある。思い当たる節もある。これについては後日掘り下げてみよう)。
4歳くらいの時に、なぜか一度地元のマクドナルドでお誕生日を祝ってもらったことがある。
記憶が曖昧だが、薄暗い店内で、バースデーケーキを持って、お店の人たちと、店に来ていた人たちに祝わってもらった記憶がある。恥ずかしかったような気がする。
他の記憶といえば、16歳の時、ホームステイ先で、ママとパパがお祝いしてくれたのを覚えている。風船と、ポップなデコレーションのバースデーケーキ。ターコイズブルーで、ケーキに描かれたHappy Birthday。パパには、カルキュレーターをプレゼントしてもらい、ママにはレモンイエローのGAPのTシャツをプレゼントしてもらったけど、当時の私は、ひねくれていて、これは好きじゃないとママに言い、返品となった。笑 ごめん、ママ。
家でお友達を招いてお誕生日会もしたことがない。(してほしかったけど、家が狭くて汚くて人が呼べる状態ではなかった 笑)
誕生日は、子どもの頃から、割と普通の日である。
そして、44回目の誕生日の今日も、普通の日であった。
私はあと2時間ほどで床につく。
自分への誕生日プレゼントは、Kindleなのだが、まだ届かない。
一昨日、5年間使った、電気ケトルが動かなくなってしまったので、新しいものを購入した。
明日届くはずである。これも誕生日プレゼントとしよう。
44回目の誕生日、バルセロナにいるなんて、想像もつかなかったであろう、生まれたばかりの私よ。
いや、知っていたのかもしれない。
私は、存在をゆるされ、世界をもらった。
45年前、私は存在しなかった。
考えてみると不思議なものである。
生きる理由を考えて昔はよく悩んだものだが、
今は、存在はもうしている前提で、毎日今日は何粥にしようかと考えて生きている。