このブログでご紹介しているのは、パーリ語経典を独学で学び、実践してつかんだ僕の解釈です。あらかじめご了承願います。

 

 

pixabay

 

信じたい人

世の中には様々な宗教があり、多種多様な神様がいます。でも、神様を見た人は何人いるのでしょう・・・。

 

僕はけっして神様を否定するつもりはありませんし、僕自身、子供の頃から特別な何かを感じながら生きてきました。

 

ときには天井の裏側から見られているようにも感じましたし、今でもときどきヴィジョンを見せてくれます。

 

神様、仏様、ご先祖さま、龍、宇宙、ハイヤーセルフ、ワンネスなど様々なものがあります。ただ、それが何かを証明するのは、誰にも不可能ではないでしょうか。

 

 

 

これも僕の特殊性なのかもしれませんが、僕は、特別な存在に何かを願ったことはありません。

 

方法を知らかなったというのが正しいかもしれませんが、「結局やるのは自分」と、どこか割り切ってた気がします。


だから、釈迦の教えがすんなり納得できたのだと思います。釈迦は、自分の言葉さえ信じる必要も疑う必要もないと言いました。ただ自分を頼って励みなさいという教えです。

 

僕の親は、僕と違って非常に敬虔な信者だと思います。しかし、「神様(神棚)と仏様(仏壇)のどっちなの?」という疑問は感じていました。

 

そして、子供に対しては暴力的でもありました。

 

神様や仏様は、いったい何をする存在なのでしょう。僕を暴力から救ってくれたのは、神様でも仏様でもありません。それは、人間でした。

 

特別な存在より、環境の影響が大きい気がします。「人に恵まれる」という言葉通り、周りの人がいつも僕を助けてくれました。

 

 

 

願いを叶えてくれる・・・そのために神様がいるのでしょうか? 僕が知る限り、そういう教えは、ずるい人間が作ったものです。

 

たくさんの宗教で、「神様に願いを叶えてもらうためには、生贄、見返り、お布施が必要」などといわれていますよねぇ・・・。

 

まぁ、それはさておき、なんでも神様にできますよ。例えば、「○○○を買ったら願いが叶った!」と言ってみてください。周りの誰かは真似して買うでしょ?(笑)

 

僕は、奇跡と思うような体験が重なった時期が何度かあります。そのときは、イメージしたことが次々に叶うので、自分でも怖いぐらいでした。

 

でも、冷静に考えると、それぞれちゃんと理由があって、原因となる出来事、親切な人々が間違いなくいました。だから、心の底から感謝できました。

 

僕は、神様の前に、善い人とつながることが大切だと思います。なぜなら、どんな神様、宗教だって本人の解釈次第で変わるものでしょ?

 

日本経済はバブルを経験し、その後、計画的に不況にされてきましたから、どんどん善い人が減ってる気がします。みんなお金という神様に振り回されてませんか?

 

 

 

人は意識したことしか見えません。願望ばかりで生きてしまうと、どんどん考えが偏って、欲深くなり、感情を抑えられないようになり、ついには好き嫌いだけで物事を判断するようになっていきます。

 

僕は、願望を否定するつもりはありません。しかし、好き嫌いだけで生きるというのは、生物の機能としては小魚と大差ないということになります。

 

世の中が荒れてくると、そういう人ほど、気が付かないうちに悪い人やずるい人に利用され、大事なものを失うことが多いかもしれません。

 

これからの時代、助け合うことが社会を救うと思います。そんな社会が取り戻せれば、自分も周りから助けてもらえるってことじゃないですか?

 

さて、ここで問題です。タイトル画像は何の写真だったでしょう?

  1. ハートのイメージ
  2. なんか本の上の金属のわっか
  3. なんか外国語っぽい本
 
 
 
 
 
 
正解は、英語版の聖書の上に置かれた有刺鉄線のリングとその影です。たぶん、カメラマンさんは、キリストの死と愛を表現したかったんじゃないかなぁ・・・。
 
人は見たいものを見て、信じたいものを信じます。例えば、事実を確認せずに、誰々さんが言ってたから正しい、と考える人が多いように感じます。
 
でも、あなたが嫌いな人が言っても、事実は事実ですよね。どんなに素晴らしい人でも、普通に言い間違うことはあります。
 
僕は、事実をありのままに見たい、心が通った会話がしたい、という感じ。