また「嫌」って言えなかった

 

また人の意見に流されちゃった

 

また行動できなかった

 

 

 

 

じゃあ、何もなければ本当はどうしたかったんやろう?



 

それを考えることさえ、ダメって思ってしまってることがある

 

 

 


 

 

 

こんにちは、せいらです。

 

 

 

わくちんの2回目うって寝込んでました。

 

 

 

 

これに関しては別に打つも打たないも

 

個人の判断なのでどっちでもいいと思ってます。

 

 

打った方がいい!って熱弁する気もないし

 

打たない方がいい!って説得する気もない。

 

 

 

この件だけじゃなく、

 

わたしは基本的にその人が決めたことなら

 

そうなんだ、と思う。

 

それをわたしが受け入れるかどうかは別として。

 

 

 

 

その人なりに色んなことを考えて

 

決断をしてるんやろうな、って思うから。

 

 








 

 

たとえば、人に流されて決めたように見えても

 

「この人が言うなら」って「自分で決めてる」もんね。

 

 

 

 

 

お母さんが言うから

 

ママ友が言うから

 

先生が言うから

 

上司が言うから

 

旦那が言うから

 

メンター(?)が言うから

 

 

そうやって決めてる。

 

 

 

いつだって主語は「自分が」だ。

 

 

「自分が」その人の言うことを信じて決めた。

 

 

 

 

 

わたしだって

他人からまったく影響を受けてないとは言えない。

 

 

色んなひとの意見を受け取って

 

自分で考えて決めた!と思っても

 

それは誰かの意見に流されてるのかもしれないし。

 

 

 

 

 

 

でも、人の意見を取り入れたとしても

 

「自分で決めた」

 

というその意識だけは忘れずにいたいな、と思う

 

 

 

自分でこのメロンパフェを食べることを決めましたっ!!美味しかった、、、幸せの味がした、、、、






 

 

もし、行動に移しても心がモヤモヤしたり

 

言い訳が出てくるのは

 

どこかで他人のせいにしたかったり

 

わたしは悪くない!って言いたかったりするのかもね。


 

 

 

じゃあ

 

(何も怖いことが起こらないとしたら)

「本当はどうしたかったんだろう」

 

(何も言い返されないなら)

「なんて言いたかったんだろう」

 

(誰にも何も言われないなら)

「どういう行動をとっただろう」

 

 

それを行動に移しても

 

移さなくてもどっちでもいい。

 

 

 

 

「本当は自分はどうしたかったのか」

 

「どうすれば心が楽になったのか」

 

「どうすればホッと安心できたのか」

 

 

行動できなくてもいいのよ。



 

 

心の中だけでいいから

 

「本当の自分」を知ってあげればいい

 

本当はそうしたかったんやね、って

気付いて声をかけてあげる

 

 

 

 

その上で

 

 

人の目が気になって、多数決に流されてしまうのも

 

それが嫌で、少数派として自分の信念を貫くのも

 

 

「自分がそうしたかった」んだから

 

 

それでいい^^

 

 

 

 

 

 

「どうしたいか」を考えることすら、無意識に諦めてることがある。





「わたしも選んでもいい」「わたしも選べる」「わたしもどうしたいか考えてもいい」


それを許可していこう



 

 

心のなかで少しずつ「本当はこうだったら最高」のスタンプを貯めていこう

 

 

 

 

 

自分の本当の気持ちさえ、心の中ですくい取ってあげれば

 

どんな結果になっても

 

また1つ自分のことをわかってあげることができた!

って心がホクホクしちゃうよ

 

 






 

 

ちなみにわたしは、最近アイスラテを頼んだあとに


 

あ、やっぱりホットラテにすればよかった・・・!

でも今さら店員さんに言えない・・・!!!

 

と思って

 

『本当はホットラテが飲みたかった・・・店員さんに「ホットラテに変えてください」って言えたら最高だった・・・・でも言うと「めんどくさいやつ」って思われるのが嫌だから今日は言わないことをわたしが決めた』

 

 

と心にメモをして←ノートではないw



 

諦めきれず

2杯目にホットラテを飲んで喜びました。笑

 

 

こういう小さなことからコツコツと〜〜〜〜!!

 

 

 


うぉーーーー!!!