わたしは自分を表現してる人が好きだ

 

わたしは自分の世界を持っている人が好きだ

 

 

じぶんの見ている世界が好きだ

 

 




 

 

 

 

悲しさも、寂しさも、切なさも

 

孤独も、弱さも感じるじぶんが好きだ




 

 

 

結局のところ、どう足掻いたって

 

そこからは抜け出せないわたしがいる。

 





何度も何度も、やってくるこの感情。





 

 

ということは、

 

わたしはじぶんの感じているその感情が



とてつもなく、好きなのだ。

 

 

 

 




 

 

 

わたしはわたしの撮る写真や

 

紡ぐ言葉が好きだ

 

 

 

 

じぶんの着る服や聴く音、

 

眠るときの温度や照明、


シーツの肌あたりや擦れるおと



 

それを繊細に、ていねいに選ぶわたしが好きだ。

 

 

 


 

太陽に当たるとぼーっとするアタマや


 

海や自然のなかでおおきく深呼吸したときに


 


潮や草花のにおいで


身体がいっぱいになるのが好きだ。

 



 

 



 



 

たまに、街中の雑踏のなかで過ごしたいと思うのは

 


服装で自分を表現しているひとを見て

 

幸せを感じるから。

 

 

 

 

 


悲しさも寂しさも切なさも

 

孤独も弱さも感じれるじぶんが好きだと気付いたら

 

 

 


嬉しさも、楽しさも、愛おしさも、幸せも、

 

 

ちゃんとわたしのなかに、ある。

 

 

 

 

欠けていたのは

 

 

それを感じる心の部分。

 

 

 

 

人と比べて、人の目を気にして

 

わたしが好きなものに蓋をしていた。

 

 

 

 

 

今は、自分の中から溢れ出す

 

これらが愛おしくて仕方なくなる

 

 

 






 

自己陶酔するのはダメだと

 

そんなのカッコ悪いとおもっていた。




けど、

 

 

わたしは昔から自己陶酔している人が

 

大好きだったじゃない。

 

 

 

羨ましかったじゃない。

 

 



悲しさ、寂しさ、切なさ、孤独、弱さ。



それを受け入れたなかに感じる



凛とした強さ。





不意に見える、その儚さ。






その片鱗を覗かせたときに、



とても綺麗だとおもう。









好きなだけやろう、自己陶酔。