他人から疎外されたとき

他人から悪口を言われたとき

他人からバカにされたとき

他人から冷たい態度をとられたとき




自分のなかにもその気持ちがあるのかもしれない、と

思ってみるのもひとつの手。
逃げるのも聞くのも立ち向かうのもアリだけども




こんにちは、せいらです。






疎外されたのも

悪口も

バカにされるのも


全部そんな「気」がした、という

わたしの「思い込み」や「気のせい」のことが多いんだけど




そもそも、その気のせいはどこから来るんだろう。



気のせいだと思い込むということは


自分にもそんな面があるということ。

そんな面がないと、そもそもその考えには至らない。





わたしはダサいと思われることに恐怖を覚えていたけど


自分のなかで「あの人はダサい」「あの人はオシャレ」とランクをつけていた

ということに気付いた(ヒィ


昔のことやし許して・・・・(誰に)






そしてそんな面があるからと言って


誰もあなたを嫌ったりもしない。



特別変わろうとも、なくそうともしなくていい。




わたしはわたしのなかに

そんな気持ちがあるんだな、って

気付いて笑えたときから


「ダサい」も「オシャレ」もランク付けしなくなった。


オシャレだろうがダサかろうが

みんな大切にしてるものが違うだけ。
そもそも自分の中にあるちっちゃい物差しで計ること自体がセンスないわw





人を疎外したり

人を嫌ったり

人をバカにしたり

人に冷たくしたり


そんな気持ちが自分のなかに

あるんじゃないかと思ってみたら、どうだろう。




わたしも


距離をとったことがあるかもしれない

嫌ったことがあるかもしれない

バカにしたことがあるかもしれない

冷たい態度をとったことがあるかもしれない


もしくは、本当はそうしたいけど

そう思ってはいけない、それはしてはいけない、と信じ込んではいないか。





決してそれはダメな面じゃない。


わたしにそんな面もあるんだー、でいい。



自分が受け止めてあげよう。



人の世界に合わせて変わる必要はない。




あの人にはあの人の距離感や世界があって

わたしにはわたしの距離感も世界もある。






こっちが大切に思っていればいるほど


それが相入れないことは悲しいけれど


わたしの世界に溶け込んでくれるような人は


必ずいるもんね。



その人を大切にすればいいね。