私の言葉は人を傷つけるっていう

前提はどこから来ているんだろう。





CBM(コバマス)74期せいらです。









小さい頃から口が達者だったわたしは





何度も何度もお母さんから


あんたの言葉は人を傷つける


と言われてきたの。






そのたびに、そうなんだ。と受け取って


私はあまり話すことをしなくなったんだよね。






だから最近まで、家族とも友達とも

ずっと上辺だけの付き合いのように感じていた。







ぢんさんに出会って

「やりたいこと」をあげてみたら

気を使わないで話す

って出てきたんだよねぇ。





大丈夫を握りしめながら

たくさん話すようになっても

すごく怖かったなぁ。






怖くなるたび、何度も周りの人に


私の言葉は人を傷つけるって言われてきたの。

そうじゃないってわかっていても、
怖くなる時がある。



って伝えてみた。





みんなは


大丈夫だよ

傷ついてないよ




そう言ってくれるんだけど

なかなか、この前提は抜けなかったのね。







接客業だから

いまでも喋りすぎると怖くなるときがある。







でもね、この間小さい頃の映像を見たときに

ふと、気付いた。








幼い頃の私は

出て行ったお父さんに会ったときに

たくさん酷い言葉を浴びせたことがあったの。





そのたびにお父さんは黙り込んでたから


私は勝手に「お父さんは傷ついてる」
って思ってた。






大人になってから、
そんなことをした自分を許せなくて



私の言葉は人を傷つける



って思い込んでいるんだよね。






だからお母さんの言葉に

いちいち反応してしまう。







でも、昔の映像を見ているうちに



こんなに溺愛してる娘から何言われても

お父さんにとったら

コミュニケーションに感じていたのかもな


って思ったの。

(オメデタイけど、自分責めしていたら
そう思うことすらできなかったよ)




そう思うと、

私の言葉は人を傷つけるっていうのは

おかしいよね。




ただのコミュニケーションなのに


傷つくって。




相手が勝手に反応して

傷ついてることが多かったのかもしれない。







そしてね、

前提をくるっとひっくり返して



私の言葉は愛である、


って決めた。







私の言葉は人を傷つける


という前提をひっくり返そう。




私の言葉は愛なんだから


人を傷つけるわけがない。



誰も傷つかない。

言葉で癒したい。




そして、傷つけても大丈夫だから


もっと言いたいこと言おう。



相手を信じることにも

繋がるね。









そう思うと

私のおしゃべりも悪くないかもね

って思えるんだ。