自分の生きてきた上でつくった
フィルターを通して見ると


物事が歪んで見えるときがある。





CBM(コバマス)74期せいらです。











昔から、疑うことを知らなかったから


すぐに人を信じては裏切られた。






わたしは、お世辞も冗談も嫌味も通じなかったし

全部、そのまま受け止めては

笑われ、引かれ、バカにされ


離れていかれたことがあるんだよね。





今も、すこし怖くなる時があるんだよ




この人の言葉を信じていいのかな

この人を信じていいのかな

この人はわたしを傷つけないのかな

この人は離れていかないのかな





そんなことばかりに気が散って

気を遣いすぎて

エネルギーが消費されて





人とは真剣に向き合えないし

すごく疲れていた。









その人のことを好きになりたいのに

一緒にいると疲れてしまうから


一緒にいれない。







だからずっと

わたしの人間関係は薄っぺらく感じていたし




友達もいないと思っていた。







わたしはいつも1人だと思っていたんだよね。








でも、もう昔の記憶を引っ張ってこなくて

いいのかもしれない。


今と昔を切り離してもいいのかもしれない。






たくさん傷ついてきたから

また、傷つくのが怖かった。







勝手にわかってもらえないと思って

勝手に気持ちを押し付けられて

勝手に傷つけられると信じていたけど






それは本当なのかな。



それは、違うのかもしれない。




疑うことから始めてみた。







これ以上傷つきたくなくて

わたしを誰よりも大事にしたくて

ぎゅーーーっと閉じ込めていた世界は

すごく窮屈だった。







わたしがわたしを大切に思うあまり、

自分で自分の首を絞めていたんだろうね。







それに苦しくなって





勇気を出して飛び込んだ世界。


勇気を振りしぼって出した声。


勇気を振りしぼって伸ばした手。


おそるおそる、開いた目。







そこには




わたしの話を真剣に聞いてくれる人がいて


わたしの声に耳を傾けてくれる人がいて


わたしのことをずっと見てくれる人がいた。






わたしが閉じこもって

作り上げていた怖い世界は

そこにはなくて





ただただ、優しい現実があった。







1人だと思っていたけど


それはわたしだけの世界だったみたい。











もう、昔の自分が作ってきたフィルターは

いらないんだね。


捨てていいんだね。





素直なままのわたしを許そう。





気を使うことにエネルギーを消費しなくなったら


勇気を出してみたり

自分を好きになることに

エネルギーを使ってみるのも

悪くないのかもしれないね。