質問「最近、身体の不調はありますか」


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皆さま、おはようございます。

本日はすでに週の後半戦、毎日が飛ぶように過ぎてます。



先日、就職用に、健康診断書を作りに行ってきました。

健康診断書のフォーマットには、特別、既往症について書く欄はありません。

お医者さんが気を利かせない限り、治った病気は過去のものです。

既往症「癌」をどうするか。



気持ちの定まらないままに、レントゲンを撮ります。

パソコンのモニタに現れてきた画像には、清らかな肺が浮かび上がってきました。

乳がもげていることは、まったく分かりません。


尿と血液を調べます。

あれほど苦労した白血球数も、なんなく基準をクリア。


「では、胸を見せてください」

最後に聴診器がでてきました。



いやです



「では、服の下から手を入れます」



胸がないことが分かっちゃうだろうか?

つまらないことを尋ねられるだろうか?

やっぱり書かれちゃうんだろうか?


「痩せすぎているのでよく聞こえませんね‥内科的な病気はないですね?」

「(外科的な病気はあるようなないようなだけど)ないです


こうして、おかげさまで、無事特別な所見のない診断書を出してもらいました。

ありがとうございます。m(__)m


それにしても、今まで気がつかなかったけれど、就業には問題がなくても、病気を抱えている人はたくさんいたのだろうな。

それを表に出さないで、あたかも健康のように暮らすのは、当たり前のことなんだ。

社会というのは、これも当たり前のことだけど、まったく見たとおりのものではなかったんだな。


むしろ、世の中には健康な人より不健康な人の方が多いのかもしれない。

それが分かっているから、人はおたがいに労りあい、補いあう友だちになれる。

年配の人で、健康だったり、お金があったり、容姿を保っているのを得意気に語る人がいるけれど、

蜘蛛の糸にすがる残りの人を蹴落として、ひとり助かろうとするカンダタのような自分の姿に気がついているのだろうか。

多少、不健康で、お金がなくて、容姿を譲っている人の方が愛されるというのは、そういう部分なのではないかと思う。

あるいは、そう思うのは、この年齢で大病を患い、もう選ばれた人たちの仲間には入れないことが分かったやっかみなのかもしれない。よく分からない。


話を戻して、それでも公的な場では、病気は生産性を奪うから、好ましいとはいえない。

雇用する側に立てば、社会保険を使い、欠勤しうる被雇用者より、極限まで馬車馬のように働き、心身ともに利用可能な被雇用者の方が便利だろう。

その雇用するか否かの判断材料となる診断書を書くお医者さんは、個人の人生を左右する重大な責任がある。

たぶん私よりもっとたくさんのケースを見て、立ち会ってきただろうと察する。

機微が分からないとできない仕事だ。

そして、今回のお医者さんも、わたしに胸がないことはちゃんと分かっている。

それでなお、ぎりぎりのところでわたしを守ってくれた。

ありがとう。

その恩義には忠実に応えるよ。

自己責任において、お医者さんにも、会社にもぜったい迷惑をかけない。

ぜったいに。



と、悲壮な決意をしてみたが、正直に申告しても、既往症はそもそも書く必要のないものだったのかもしれない。これも分からない。


と、本日はこんなところで。


皆さまも、どうか、人のいる場所で、気持ちのやりとりを感じるあたたかい1日を過ごされますよう。

では、また!


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ar-gent 「 気持ちの浮き沈みくらいですかね」


問題は、いつも数字の及ばないところにあるんだよね‥。