以前、仕事を転職し京都の南区に住んでいましたが、全く神社やお寺には興味は無く、逆に人が多くて敬遠していました。それが、わざわざ車で2時間かけて来る事になるとは。物事には、それを受け入れるのに適した時期があるのかもしれません。今回は1泊2日でめぐりました。
最初は嵐山にある御髪神社です。早朝7時のため、誰もいません。こじんまりした神社です。
玉垣にカツラメーカの名前があり、髪関係の方の寄進がたくさんありました。私は、髪の毛が抜けないようお願いしました。神様は、訪れた人の髪の願いを聞いて、髪の悩みを解決するお仕事をされるわけですが、人間の願いを叶える神様は大変だなと思いました。
次は、北野天満宮です。拝殿の前に来ると、白色の玉砂利が敷き詰められ、四方の黒色の壁とのコントラストで、地面から上に向かって光が放射されており、清冽な空間でした。
今回は、文子天満宮を訪れたいとおもっていました。道真公の乳母だった多治比文子(たじひの あやこ)という方が祭られています。来ると、やっとこれたーという感動がありました。
宝物館とおぼしき所で、刀剣の展示がされていました。中に入ると、若い女性ばかりで、真剣に刀を見ています。
なぜ人を切る武器に見入っているか後で知りましたが、刀剣乱舞というゲームで刀を擬人化してイケメンに仕立て、人気があるようです。次は、清明神社です。
五芒星の提灯があります。結構人がいます。境内は以外に明るい雰囲気です。
羽生弦君の色紙があり、ファンと思しき人が群がっていました。ちょっと不気味な集団です。
続いて、上賀茂神社です。ここは世界遺産に登録され、きれいに整備されています。
鳥居から神殿までの道が白砂利と周りの緑色ですっきりと気持ちいい道です。本殿では特別拝観をしていましたが、丁度私の時には受付終了となり、残念でした。
次も行ってみたかった所で、織田信長公のお墓がある、阿弥陀寺です。お墓は普通のお寺の共同墓地の一角にありました。これが戦国武将No.1と言ってもいい人のお墓にしては、質素でした。お花をお供えし、般若心経を上げさせてもらいました。
次は、京都大学の隣にある吉田神社です。
室町時代吉田兼倶が吉田神道を創始し、拠点として境内に末社・斎場所大元宮を建立した。根元神である虚無太元尊神(そらなきおおもとみことかみ)を祀り、全国の神社を吉田神社の統制下に置こうと考え始めた。神社自体の格も伊勢神宮よりも上であるとした。(Wikiより)
日本の全ての神の上に立つ神を作り、江戸時代には神社界の権力闘争を勝ち抜き、大きな権力を握ったようです。大元宮は、自分の作り出した神の権力を誇示する願望が形になったものかなと感じました。
でも、つくりは八角形や茅葺等々が非常にユニークで、興味深いです。本殿の横には、ずらーっとお社がならんでおり、日本中の神社を勧請するようです。本殿に近づいてみたかったですが、門から中には入れません。
山を登ってゆくと開けた場所に出て、五山送り火の大文字が見えました。
山を下りると、竹中稲荷社がありました。
参道の横には桜が植えられており、春なら花がきれいだと思います。
拝殿の裏には、お塚がたくさんありましたが、放置されて壊れたりしたものが多く、暗い雰囲気です。人は困ったときには神様に頼り熱心に通うけど、満足したり他に興味を持つと、忘れてしまいます。神様は人気があるときは良いけれど、だれも来なくなると寂しいだろうと思います。
続きます。











