おはようございます(^_^ゞ
鎌倉は
今朝は4時に目覚めまして、夫の朝食を作り
夫は千葉へとゴルフに出かけて行きました
ゴルフ場の名前 聞きましたけど、忘れてしまいました(^_^ゞ💦
結構遠いです。
会社の方とのラウンドです
何年かぶりに東京へ戻ってきて 昔のゴルフ仲間が数人いたので楽しみにしていましたけど
一番よく一緒にゴルフしていた方が 心臓を患い、ゴルフはもう辞めておられ、もうお一人の方も持病があるそうで 残念ながらゴルフは引退しておられました。
今日ご一緒する方は 皆さんそれぞれ遠く離れてますが、今日のこの日しか空いてなく 帰られる前に ラウンドすることになったようです。
今日も暑いので なんとか夫も 無事にラウンドを終えられますように!
さて、
台風一過も… て、台風がきていた感じが今回はあまりありませんでした。
おそらくですが、ここ 鎌倉の地形もあるのかな?
夕方頃から夫が【台風たいしたことないから銭湯行ってくるわ!】と、出掛けていき 家から下へとおりていくと それなりに強い風が吹いてて、運転してても時々強風を感じたそうなので
うち、山の谷間?になるのかな… 風向きによっては無風なので そういうのもあるかもしれません…知らんけど(^^;)
一昨日の台風の日と 昨日と、家でぼけだら過ごし、昨日は夕方頃にウォーキングに出ました。
これがまぁ~ 外へ一歩でますと、これまでにない程の蒸し暑さを感じ いつものルートを変更しました。
夫が 【お墓参りでも行くか】と言うので 行って来ました
まだ18時頃とはいえ 上へと進んでいくうちに静かで寂しく、ちょびっと不安を覚えました😓
夫に【これまだ上へ上がるの?】と…
こちらの写真は資料からお借りしたものです
お墓の場所は 源頼朝のお墓からもう少し東側の山の中腹に、石段上がっていくとこのように 三つのやぐらがあります。
中央が大江広元のお墓、こちら左手のお墓が 毛利李光のお墓、奥右側は 島津忠久のお墓です。
こちらの資料での写真と今現在とでは違い、今現在は 大江広元と毛利李光のお墓には【危険】というロープが張られ、中へは入れなくなっています。
島津忠久【平安時代の末期から 鎌倉時代の前期の武将】のお墓は 今現在も、おそらくは地域の方々が綺麗にお掃除されておられるようで、お花が手向けられておられました。
大江李光は 源頼朝の側近として、政所別当(長官)を務めた人物やそうです。
島津氏と毛利氏は 祖先を顕彰するため 源頼朝の側にお墓を設けたものと考えられるそうです。
島津家の誕生は 源頼朝から始まるとされ、
源頼朝から寵愛を受けた丹後局が子供を身籠り、
これを知った源頼朝の正室 北条政子から妬まれ、そのため 丹後局は鎌倉から逃れ、大阪府の住吉大社に着き 忠久を産みました。
その後も色々と 丹後局のお話しはありますが、長くなるのではしょらせて頂きます🙇
その後、源頼朝は我が子 忠久の誕生の知らせを受け 【三郎】の名を与え、のちに初めて我が子忠久と対面し 頼朝の家臣、畠山重忠の一文字を得て、【忠久】と名乗ることになり
その後 島津忠久は 九州をおさめていくことになりました。
そうです(^_^ゞ