次の状況で誰が悪いかを考えてみて欲しいんだけどさ、

 

 

 

自分が風邪をひいて寝込んで出かけれない時に、

 

彼氏が「代わりにご飯を買ってきてあげるよ」って言ってくれて、

 

私に「何がいい?」って聞いてくれたから

 

「ありがとう。なんでもいいよ。」って伝えたら、

 

 

 

彼氏がわさびチューブ買ってきた

 

 

 

ってなったら、

 

 

 

自分が苦痛を味わうのは、誰のせいだと思う?

 

 

 

 

 

これ、彼氏が悪い?

 

 

 

普通の感覚を持っていない彼氏のせい?

 

 

 

 

わかりにくいなら買ってきたのはわさびチューブじゃなくてもいい。

 

 

辛ラーメンとか

 

大盛りペペロンチーノとか

 

激辛カツカレーとか

 

天ぷら単品とか

 

コカ・コーラ1.5リットルとか

 

 

なんでもいい。

 

 

 

私が食べたいものじゃないものを買ってきた彼氏が悪いか?

 

ってことを問いたいわけです。

 

 


 

むしろ、正解はなんですか?

 

 


肉まん?

あんまん?

サラダチキン?

スモークサラダチキン?

みかんゼリー?

ポカリスエット?

桃の缶詰?

首に巻くネギ?

 




何が正解だったかなんて、他人がどうやってわかるねん




って話です。




 

 

買ってきてくれたものに心から「ありがとう」と言うために彼氏が買わなければいけなかったものは、

 

どうやって見つけることが出来ましたか?

 

ってことです。

 

 

 


もし、そこ(買ってくるもの)で彼の本質見定めようとしているのなら、


そんな人の前には

運命の男性など絶対に現れないと思います。

 

 



なぜなら、

 

「なんでもいいから」

 

っていう言葉は、

 

自分の幸せ(自分の不幸)の全責任を他人のせいにしたい人が使うセリフだからです。

 

 

 

※ 自分と相性が合いまくっていて、言っても居ないのに欲しい物を買ってきてくれるっていうのがわかっている相手に対して言う「なんでもいいよ」とは別件です。

 

 

 

 

これね、

 

もし自分に意識がなくって会話が成立していないってんなら激辛カツカレーを買ってきた彼氏の感覚はどうかと思うけれど。

 

 

 

自分に聞かれているのにそこで正直に答えずに

自分が欲しい物を買ってこなかった相手のせいで自分が不快になったと相手を責める

 

ってのは、

 

 

自己否定をしている人がやっている「他人に嫌わせる行動」のひとつです。

 

 

 

僕は、「普通の感覚を持っていない彼氏」は悪くないと思う。

 

 

 

「普通の感覚」という言葉を使い

「私が喜ぶもの」を買ってきてくれるかどうかを

 

上から目線で勝手に試験を出し、

 

 

自分が好きなものを選んできてくれるはずと期待して一方的に委ねたくせに、

 

 

「私が喜ぶもの」を選べなかった彼氏のせいにしようとしていることがどうかと思う。

 

 

 

 

お前が自分の意志で任せたんだろ

 

 

って思う。

 

 

 

 

つまり、圧倒的に悪いのは、

 

 

自分が自分の欲しいものを知らない

 

 

ってことじゃないかと僕は思います。

 

 

 

 

で、これ、

 

 

「悪いかどうか」っていう議論ではなくて、

 

「幸せを感じられるわけがない現実のままでいいかどうか」

 

ってことなんですね。

 

 

 

 

 

風邪をひいた時のおつかいの話なんてどうでもいいんです。

 

 

 

別に激辛カツカレーしかないってんなら、白米だけでも食えばいい。

 

 

 

 

「買ってきてくれるだけありがたい」

 

と、

 

そう思えなかった経験が過去にあるのならば、

 

 

 

 

 

不快にならないように

 

自分が欲しいものを自分がちゃんと知っておけ

 

 

 

っていうことだし、

 

 

 

 

そもそも、

 

 

 

 

本当に「買ってきてくれるだけでありがたい」ってんなら、わさびチューブだろうと文句言うな

 

 

 

だし、

 

 

 

文句言いたくないならちゃんと自分が喜ぶものを注文しろ

 

 

 

だし、

 

 

 

相手は「何がいい?」って聞いているんだから何も悪くない

 

 

 

っていうかそもそも

 

 

 

そいつ(そういう感覚を持っている奴)に買ってもらうことを決めたのは自分なんだから端から文句を言う権利はない

 

 

 

し、

 

 

 

「もし風邪引いてる時にわさびチューブ買ってきやがった事件」が

 

結婚後に起きた事件なら、

 

 

 

付き合いをしている時に自分の責任でちゃんと確認しとけ

 

 

っていうことで、

 

 

総じて

 

文句を言う権利がない

(全部自分の判断が甘かったせい)

 

ということだと僕は思う。

 

 

 

で、こんな言い方をすると、

 

 

 

「私は黙って激辛カツカレーを食べるしか無いんだ」

 

ってスネる人がいるんだけど、

 

 

 

僕がここで言いたいのは

 

お前は「なんでもいい」と言って買われたものを文句を言わずに食え

 

ではなく、

 

 

風邪を引いておらず、

誰にもおつかいを頼んでいない今のうちに自分のことをちゃんと知っておきましょう

 

ってことなわけです。

 

 

 

「文句を言うな」ではなく、

「今のうちからちゃんと準備しておけ」です。

 

 

 

風邪を引いている時に買ってきてくれたものがなんだったかていう小さな事件ならまだマシなわけで、

 

 

それを

 

自分にはどんな才能がある

 

とか、

 

 

自分にとっての運命の人(自分が好きな人)はどんな人なのか

 

とか、

 

 

超大事なことをあなたはちゃんと知っていますか?

 

 

っていうことです。

 

 

 

「自分のことを自分が知らない」

 

ってのは、こと人生においては全てのことで大問題になります。

 

 

 

「好きなもの」でしか自分の人生は豊かにならないからです。

 

 

 

っていうと、

 

 

 

「じゃあ、どうやったら

 

自分の「好き」を知ることが出来たり、

 

どういう人が自分に「合う」かを知ることが出来るようになりますか?」

 

 

 

 

って聞かれるのだけど、

 

 

片っ端から全部やってみるしかない

 

 

の一択です。

 

 

 

今のうちから

(風邪を引いていないうちに)

 

いろんな経験をして自分が何を好きかを挑戦して調べておいてください

 

 

としか言えません。

 

 

 

 

参考ブログ

 

 

 

 

 

グルメがグルメなのは、

(自分の好きを知っているのは)

 

マズいご飯を人よりも多く食べたから

(嫌なことをやるために時間と労力とエネルギーを惜しまずに使ったから)

 

 

です。

 

 

 

 

自分の幸せって、

 

挑戦した数だけ純度が上がります。

 

 

 

 

 

だから、挑戦するしかないです。

 

 

最初は自分がラーメンが好きだと思ったから

とにかくラーメン屋さん巡りをしていればいいかと思いきや、

 

 

ある日突然、

 

 

急にニンニク(しかも単品)が食べたくなった

 

 

ってなったりする。

 

 

 

 

それはね、仕方ないんだよね。

 

 

 

 

「人生を楽しむ」ってのは、

 

 

「楽しくないことを楽しいと感じられるようにすること」ではなくて

 

「楽しそうなことへの挑戦を辞めないこと」だと思います。

 

 

 

 

だから、

 

「なんでもいいよ」と他人に任せた先に幸せがあるわけがない

 

し、

 

 

「なんでもいいよ」の結果で相手を見定めるようなことをしていると、どんな男も遠ざかっていきます。

 

 

 

「お前何様なんだよ」

 

「一緒に家庭を作る気あんの?」

 

 

ってなるからね。

 

 

 

 

そういう意味では、

 

 

「なんでもいいよ」

(相手の好み・センスをまだ信頼していないなら)

 

って、

 

嫌わせる言葉

(自分の人生をハードモードにするための言葉)

 

 

なのかもしれません。

 

 

 

というわけで、好きをとことん探してみましょう。

 

 

 

「好きかもしれないものに片っ端から挑戦する」でもいいし、

 

「やりたくないけどやってみる」でもいいと思います。

 

 

 

 

人生の楽しさの純度って、

 

「死ぬまでにどれだけ好きかどうかの実験を終わらせられるか」

 

に懸かっていると思います。

 

 

 

ってなわけで、

 

どんどん実験してみることをオススメします。

 

 

 

 

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人生の楽しさを感じる時って、

 

 

至高の一杯に出会えた時

(達成した時)


じゃなくて

 

至高の一杯を探している時

(未達の時)


じゃないかなって思います。

 

 

 

 

で、至高の一杯に出会えた後が、

 

人生のボーナスタイムなのだと思う。

 

 

 

 

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