本題に入る前、に。
怒る人って、
本当は
怒りたくないって思ってる。
てかね、
怒りたくない、んだよ。
全っっっっっっっっ然
怒る気なんてない、よ。
そもそもね、
イライラなんかね、
したくないんだよ。
怒られている方も気分悪いかも知らんけどさ、
怒ってるこっちだって気分悪い、んだよ。
てかさ、
怒らされる、のよ。
(日本語合ってる?)
わたしが怒る理由って
わたしに無い、の。
まわりが悪いの。
みんながちゃんとしてくれれば
怒らなくて済むの。
わたしが場を荒らしてるんじゃ無いんだよ。
怒らなければいけない理由をね、
持って来る人がいるから、
ついつい怒っちゃってるだけ、なの。
うん。
わかる。すげーわかる。
っていうか、おれ、だったから。
でね、今さ、
ぼくはさ、心理学のプロとして活動していてね、
その当時の自分のことをね、
許すしか無くなった、んよね。
で、ね、
こっからめちゃめちゃ大事なこと言います。
永久保存版レベル。
自己受容、について
超絶鬼クッッッッッッッッソ
ハマりやすい
トラップ(罠)がある。
ぼくのところに来てくれた方のお話を
聞かせていただいてるとね、
そのトラップにハマってしまっている人が、
すっごく多いんです。
本当に多い。
言おうか言わないか、
ずっと迷ってたんだけど、
実際、心屋関連のカウンセラーでも
ハマっている人、が居るみたいです。
「伊藤さんに聞いて、やっと腑に落ちました。」って、
本当にたくさんの方から言っていただくんです。
(身内の批判記事じゃ無いです。そう書いてるようにみえるかもですが、本当にそうじゃないです。)
自己受容する、と、
確かに、嫌いじゃ無くなります。
(厳密に言うと、「嫌い」の見方がかわってきます。)
カウンセリングを受けると、
お父さんを許すこと、だったり
お母さんを受け入れること、だったり
許せなかった理由に気付いたり、
愛せなかった自分、の存在に気付いたり、
そういう気持ちに
やっと気付いて、
やっと意味がわかって、
涙がぶわーーって溢れて出てきて、
初めて、新しい自分に出会えて
生きている体感を思い出したって、思う。
(自分のその当時を思い出しても泣けそう。。。)
そこもすっごく大事で、
それを認めるだけでも、
全っっっ然、見えてる世界って変わっちゃうんだけど、
それを知った時の体感って
計り知れないくらいの感動を覚えるんだけど、
まだ、もう少し先にも
道があることが、あるんです。
で、これがすっごく大切、で。
まぁ、ここからがぼくの得意分野なんですが、
それが関わっているのが、
セルフイメージ、です。
怒る理由って、
必ずある、んです。
怒らなければいけない理由、として
無意識に、
超ーーーー絶強く握りしめている。
で、その理由に気付くと許すしか無くなる、んですが、
もう少し先に道があるって言ったのは、
それが、
なぜ「怒らなければいけない理由」として
持っていたのか、です。
簡単な言葉で言うと、
怒る理由が、できた理由です。
怒る理由、を、作る必要があった、わけです。
その、
「作る必要」をまだ握りしめていると、
モヤモヤし続けるんです。
頭の中はスッキリするんだけど、
心まではまだスッキリしない、とか。
意味はわかるんだけど、現実は変わらない、とか。
後戻りしている気がする、とか。
ダイエットで言うところの、
リバウンド、に近い体感になります。
で、で、
これ、偉そうに言ってるけど、
ある意味、仕方の無いこと、ではあるんです。
(仕方の無さ、も、自ら体感しました。)
自己受容って、
イメージするなら、
氷を溶かしていく作業、に近い、です。
なので、表面からしか溶けない、んです。
だから、氷を溶かす方法、がわかっても
凍った理由、がわからないと、
また、凍ってしまったり、
途中から、溶けなくなったり、する。
自己受容の最終ゴール地点、って
(本当はこういう言い方は適切では無いんですが)
氷ができた理由、に気付くこと。
(「怒る理由」を、つくらなければいけなかった理由、ね。)
で、それ、が
セルフイメージ、なんです。
(氷の一番中心の部分)
この存在に気付けると、
氷が出来なくなる。
厳密に言うと、
対処の方法
(俗に言う、手放し方)
が、わかるので、
大きくなる前に、気付ける。
凍っていく課程、を見守れるようになる。
そして、
慌てないで対処ができるようになる。
「そうかそうか。」
「今は寒いんだね。」、と。
「その寒さはちゃんと終わるからね。
一緒に過ごそうね。」
「寒いかもしれないけれど
もう独りじゃないよ。」って。
「もう、怖くは無いからね。」って。
氷をつくってしまっている自分、に
寄り添うことができるようになる。
罪はなかった、の、体感をより濃く、
得られるようになる。
この後の
自分らしい人生の過ごし方、が
わかるようになります。
中途半端に表現をすると
かえってわかりにくいかなと思って
今回は特に、あえて強め、の言い方をしています。
ここまで書いたけど、
苦しいなら、でいいんです。
ぼくのところに来てねっていう
広告記事ではないです。
(って書くと余計に広告に見えてしまう不思議。)
でも、もし苦しいなら、LINE@からメッセージ待ってます。
ぼくが、
セルフイメージアドバイザーと名乗るのは自信があるからです。
技術があるから、です。
(やっぱり広告ですね。すみません。)
独りにならないでね。
いつでも連絡を待っています。
無料でもたくさんお答えしています。
いつでも連絡くださいね。
心屋メソッドの詰め合わせ
「自分らしさ」の欠片を拾いに行く
~すべての答えは自分の中に在る~
10月31日 夜 東京・千葉
11月 1日 午前 有楽町付近
11月 2日 午前 九段下駅付近
11月 3日 午前 代々木駅付近
11月 4日 午前 東京・千葉
11月 4日 午後 千葉駅付近
投稿して頂いたお悩みに
無料でお答えしています。
「悩んでいる人を独りにしない。」
ぼくはこのコンセプトに救われましした。
駆け込み寺として使って頂けたら、と
思っています。
独りにならないでね。
24時間365日
いつでも
ご連絡お待ちしています。