今日は車検に関しては社員さん休みだったので、一人でスイッチいれて、、と言った感じでやってました。
そして、定期点検と車検は今日いるスタッフくんとこなしました。
順番を考えながらいつものことをどうこなすかじっくり考えながら実行しました。
そして、久しぶりの友人にも連絡をとり、相談があるということで、音楽談義の約束をしました。
また、お客様の中にはブルースバンドをやってるということで盛り上がったりしました。
このところ、キャンディな精神を保つのに自然な体制ではいられません。今日はチラッと見えた舟戸公園の池をドライビングしているときに見て、ハッとしました。あー曇ってた、、ってね。
いつものようにジャーナリングで会話をして気持ちを一度リセット。放っておくと、周りから聞こえてくる他人の他人への野次や悪口が妙に際立って聞こえてきて、少し聞こえそうな声でいらんことをつぶやいてしまいます。
何故、みんな自分のことを隠すために他人に灰色のスポットを当てて自分に向けていうべきことを言うのだろう。。少し悲しくなるというか、なんだか同じ人として情けない。感情で付き合う必要のないレベル。
そんな人たちがたまたま同じ母校だったりする(紙袋に大学名が書いてあった。)
それはそれで複雑、、
ヒトは自分の鏡だという。そして、全てにおいてマナーというものは存在する。僕はそれをある人に教えてもらった。そして、納得した。
自分を磨くことは人に対しての礼儀。綺麗な格好、フォーマルな格好、お洒落をすることは、相手の前で気持ちのいい環境を作っていることに変わりはない。要するに自己満足ではないということ。
例えば、髪の毛を染めることは果たして素行の悪さでしょうか?ピアスをチャラチャラつけるのは?
ボクはどちらもマナーのあるカタチだと思う。例えば、容姿を気にしていない状態で、自分の車を納めてもらいたいか?
気持ちよくコンビニでお釣りを渡すことができるか?
こたえはそれぞれでしょうが、ボクはマナーが悪いと思ってしまう。
要は、今日、自分たちのストレス発散のためにヒトを悪くいう会話は、ボクにとってはマナー違反でしかなかったと思うわけです。
アニメで見窄らしいってあまりないですよね。
ボクはただのチャラ男のようにも見えるかもしれないけど、時間と意識をちゃんと使って外行きを用意しているマナーのつもりです。カッコつけと言われてもいいですけど、そうでない黒髪の自分は自分を偽っているように思いますので、今はそのまま自分をだしている、そんなイメージです。
ボクは真面目ではあるけど、センスある真面目で生きてきた。
だから、見窄らしい格好で対応はしたくない。
もちろん、その頃合いのことを褒めてもらえたことがあって、鵜呑みにしてるけど、あ、諦めることなかったなと今は身に染みている。
自分が言わないと誰も言ってもらえないとかよく言ってたんですが、要するに誰も言えるポイントがなかったってことなんです。
見直すのは自分の目線からじゃなくてヒトから。
それを磨けば年齢なんて。
そんなことを考えた1日でした。
読んでくれて嬉しいです。できたら伝わったらいいな。
読んでくれている皆さんにキャンディな世界を。