市の広報誌に、近所の病院が主催で
認知症をテーマにした市民講座が開催されると載っていたので、彼と一緒に参加してきました。
参加希望者が予定数を上回り、お断りした方も
いらっしゃるそうです。
内容については・・・
「認知症とは?」
「食べて防ぐ認知症」
「認知症の為の運動療法」
という感じ。
色々と思うことはあるのですが、
強く感じた事を一つだけ書きたいと思います。
資料の中に、ある女性の詩が掲載されていました。
結婚して子供を産み、孫を抱き、夫と死に別れ、認知症になった。
施設での職員の対応が悪く、悲しく思うという内容でした。
職員の対応については、後で書きますが、
この女性・・・私は幸せだと思うのです。
勿論、様々な困難があったことでしょう。
認知症になったことも、ショックだったでしょう。
でも、でも・・・
ここまで、無事に生きてこられた。
孫を抱くことができた。
その事実に幸せを感じて欲しいと思いました。
この女性は、現実は厳しいと嘆いているのです。
確かに、認知症になり施設で満足のいく介護をして
もらえないのは、悲しい現実です。
でも、孫の顔を見ることが出来るなんて、
奇跡のような素晴らしい経験ができたのに、
今までの人生が素晴らしくても、最後が施設で
悲しい状況になってしまったらオシマイみたいな
そんな風に思わないで欲しいと思ったのです。
私は、乳がんになった時、やはりショックでした。
気持ちをバンバンぶつける相手もいなかったので、
必死に、必死に、なんとか平気な顔をしていました。
今だから言える事ですが、その時に半強制的に
「がんになった方は、こちらです」的に心のケアを
受けさせて欲しかったと思っています。
心のケアが必要だなんて、本人には分からないですよね。
それと、認知症に何の関係があるのかというと、
認知症も、それと同じように心のケアが必要だということです。
心のケアを行っている所もあると思います。
私は、福祉の実務経験がないので、
あくまでも「がん患者」としての意見なのですが・・。
そこで、「今までの人生が、いかに素晴らしかったか。」
「人は、誰でも衰えるのであって、それは不幸ではなく当たり前。
平均寿命が近くなるまで生きられたことは、素晴らしいこと。」
その辺りを中心にケアして頂けると、良いのではないか
・・・と素人は考えたワケです。
(これは、高齢者を対象にしたケアのお話ですよ)
せっかく、素晴らしい体験をしたのに・・・・
「最後に認知症になったら不幸」
「年をとって体が衰えたらみじめ」
そんな風に思ってしまったら、
どんな人生を生きてきても、結局最後は不幸・・・
という事になるじゃないですか。
前にも書いたことですが、
ヘルパー講座を受けた時は、高齢者は体が動かなくて
お気の毒、とても大変・・・と思いましたが、
自分が乳がんになって、死ぬかもしれないと思った時、
「高齢になって体が衰えるだなんて、なんて素晴らしい!」
と思うようになりました。
何十年生きても、過ぎてしまえば、あっという間。
短い人生だと思うでしょう。
でも、今まで生きてきて体験した事を
もっと大切に・・。
そして、それを誇りにして、最後の瞬間まで
堂々と生きて欲しいと思うのです。
そうじゃないと、悲しすぎます。
高齢者が、自分の人生に誇りを持てるように、
心のケアをして欲しいと思います。
それから、介護の現場で働く様々な職種の皆様は、
とても疲れています。
本当は、高齢者が大好きで入った世界なのに、
日々の忙しさで、高齢者の気持ちに寄り添った介護が
出来なくなっていると思います。
(全ての施設がそではないと思います)
待遇の改善さえあれば、様々な問題が解決するでしょう。
私ごときが言える立場ではありませんが、自分がいつか
介護を受ける立場になることも考えると、待遇改善を願うばかりです。
今の状態で、利用者として施設に入ると、やはり寂しい思いをすると思います。
長々と、独り言を書いてしまいました・・・。
お付き合い頂き、ありがとうございました。