暑い…

死ぬほど暑い…

雪の降るところ生まれの私は、子供の時から夏が苦手。

太陽の光で肘から先が象の皮膚状態になってかゆいし、指先の水疱もかゆいし、

蚊に刺されたところは冬までかゆいし、

プールは必ず熱が出るし、

本当に毎年夏休みが苦手でした。

 

夏休みの自由研究も苦手な理科限定だし

勉強は何をしたらいいかよくわからないし

毎日続ける絵日記やラジオ体操なんて特にできないし

苦役、と言っていい日々でした。

 

母はもちろん毎日「勉強しなさい!!ムキー」と怒り、

自室に行くものの何をしたらいいかわからないのだからどうにもならないわけです。

でも、母自身も、

学習方法、どう学んで身に付けていくか、とか

何を勉強するのか、は

全くわかっていなかったと思います。

ただどなるだけ。

 

 

私のホロスコープ3室に土星があります。

小学校の基礎教育に困難がある、ということを表します。

コミュニケーションを司る3室に土星があるので、

生まれつきの軽度感音難聴の私にとっては誰の助けも得られず、一人暗い中に放り出された毎日を必死で生きてきた小さな私を抱きしめてあげたい。

小さな私を思うと悲しみがこみあげてきます。

 

 

さて、

表題の「小さなK子ちゃん」とは母のことです。

80代半ばになっても母の「小さなK子ちゃん」は時々激しく愛に飢えている姿をみせてくれます。

母は8人兄妹の一番末っ子、長兄とは20歳ほどの歳の開きがあったはず。

母の母、つまり私の祖母は田舎では豊かな家のお嬢さんで、

母の父、つまり私の祖父のお酒が原因で没落して苦しい生活を送った人だと聞きました。

大人である祖母や長兄、長姉から見れば母はいつまでも物事がうまくできず、いつもダメな子だと思われていたようで、母の心の屈折そのままに育てられた私がそれを受け継いだのも道理でした。

 

ちょっとでもネタがあればその人を見下し、

自分の方がずっと偉い、

自分の方がずっとお金をかけている、

自分の方がずっとよくできた、など

他人と比較しないと居場所が見つけにくい人でした。

 

 

こうやって母にフォーカスすると引っ張られるなあ…滝汗
いやね、
今でも、私を愛して!!!!大泣きと叫び続けている母の中の小さなK子ちゃんごと、
まるごと母の存在を包み込んじゃえばいいじゃん!ニヤニヤと思ったんですよ。
もう私にはそういうことができるじゃん!てね。
ライオンズゲートも開き始めてるし、この過去の苦しみはもう過去に置いて、
これから話をするたびに新しく出会った他人としてこれまでの私の対人スキルを使って接すればいいんじゃね?と思ったわけです。
 
小さなK子ちゃんを私が癒すことはできないけれど、
大人の母を癒すこともしないけれど、
小さなK子ちゃんが常に感じている承認欲求を満たしてあげることはできる。
 
吐き捨てるように自然に他人の悪口を口から出す母に、
つい先日ももやもやして、
「この人は一体何を言いたいのだろう…?」と真剣に考えてしまったのですが、
何のことはない、自分を愛してほしい、認めてほしい、ほめて欲しかったんですよね。
人を貶めることで自分の優位を保ちたいのだからその一番欲しいことを示してあげればいいんじゃないかしら?ってウインク
 
そして近づかない。
距離を保つことで私の心を守る。
小さな私が不安になることを私の心に感じさせない。
 
介護の日々が近づいているだろう今、
そんなことをつらつら考えた夏の日です。
 
 
※「アダルトチルドレンの子供たち」という本があります。
アルコール依存症であった親の親(祖父)と、アダルトチルドレンの親(母)、
そしてその子供である私、の心理的影響について書かれたものですが、
そういう側面から考えることも母の苦しみへの理解への一助となりました。
母を排除するのではなく、受け止めること。
愛を以って受け止めること。
これからの私のテーマです。
 
 
それでは。
また書いていきます。