今日2回目の更新♪



今日は、夕方旦那ちゃんから、



「晩御飯つくちゃった?これから先生方で『日より上げ』で飲み会に行ってきていい?」



っていうTellがありました。



ちょうど今日の晩御飯どうしようと思っていた時のTellだったので、2つ返事で



「いってらっしゃ~い」



と申し上げました。



旦那さんの学校、日曜日が運動会なんです。



で、この辺の小学校では、なぜか運動会前に「日和上げ」という不思議な儀式があって、要は「運動会晴れますように」という意味でグラウンドに日本酒まいたりするんです。



私も小学校に勤めてはじめてその不思議な儀式を知りました。



しかも私が最後に勤めた学校は、毎年その年に転勤してきた先生が何かパフォーマンスをしなくちゃいけなくって、グラウンドの真ん中で組み体操したり、チアガールになって踊ったり、私のときは浴衣を着てカツラをかぶって「マツケンサンバ」を踊らされました・・・。



でも、ほかの先生方は校舎の窓から遠巻きに見物&ビデオ撮影。



グラウンドに遊びにきていた子ども達も引き気味で笑ってる・・・。



そんな辱めを受けるへんな儀式です。



たぶん、あんまり深い意味はないんだと思います。



ただ、4月に来たばかりの先生方にとっては初めての大きな行事なので、その儀式で少しでも緊張がほぐれればという感じなんだと思います。



うちの旦那ちゃんの学校は、ずいぶん昔に「日和上げ」はやめたみたいなんですが、今日はそれにかこつけたただの飲み会だと思います。



ちなみに、我が家は仕事上の付き合いとしての飲み会は家計からお金を出しますが、このような突発的な仲間内の飲み会はおこづかいから出してもらうことになっています。







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気がつくと6月ですね。



実は、6月14日。



私はママになる予定でした。



去年10月、病院で妊娠を確認しました。



生理不順で初めて受診し、半年後からカウフマン療法を1年続けた後の妊娠でした。



ちょうどその日は旦那ちゃんの誕生日。



「私もちゃんと妊娠できるんだ!」



正直それが妊娠を知った直後の私の感想でした。



1年間の治療の間、



「本当に私は妊娠できるんだろうか。もしかしたら自力で妊娠どころか、排卵も出来ない体なんじゃないか」



そう思ってかなり落ち込んでいた時期だったからだと思います。



妊娠がわかって、1週間もしないうちにつわりが始まりました。



常に胃もたれ状態。ゲップもすごいし、食べてもすぐに戻してしまう。



でもお腹はすく。何だったら食べれるだろうといろいろ口にしてみるが、ことごとく吐く。



そしてお腹がすきすぎてますます気持ち悪くなる・・・。



最後は炭酸水しか飲めなくなっていました。



おかげで体重も2キロほど減ってました。



そんなのが約2週間ほど続いた頃、夕方突然出血しました。



あわてて旦那ちゃんに病院に連れて行ってもらいましたが、その頃には出血も止まっていました。



エコーで見てもちゃんと袋嚢は見えていました。しかも前回よりも大きくなってました。



ただ、袋の中の赤ちゃんまでは確認できず、先生に聞くと



「まだ小さいから、はっきりとは見えないだろうね」



そういわれました。



でもたぶん、そのときにはもう先生はわかっていたんだと思います。



袋の中に赤ちゃんがいないことを・・・。



その次の週に2度目の診察に行きました。



袋は前回よりも大きくなっていました。



でも、中は真っ黒なまま。



先生はすごく丁寧にエコーで見てくれました。



念のためとお腹からのエコーもかけてくれました。



そして、今はまだ赤ちゃんが見えないこと。



この時期は初期流産の割合が高い時期なので、安静にしてほしいということ。



来週もう一度診察するということを言われました。



祈るような気持ちで1週間をすごし、3度目の受診。



エコーには前回よりますます大きく、ただただ真っ黒い袋が映っているだけでした。



そして、先生から静かに「稽流流産」という言葉をもらいました。



まさに、天国から地獄とはこのことだと思いました。



先生は



「これは、お母さんのせいでも誰のせいでもないんです。受精卵にそこまで成長する力がなかったってことだから、自分を責めないでくださいね。」



「さいころを振ったらあたりが出た。それくらいの確立で流産は起きるんです。今回は“枯死卵”なので、次も流産という確立は少ないと思います。」



と説明され、後は手術の日程や説明をされました。



体はこんなに妊娠してると思ってるのに、袋嚢もこんなに大きくなっているのに、赤ちゃんがいないという事実をそんなにすぐに受け止められることなんか出来るわけもなく、ただただ呆然と先生の話を聞いていました。



そのあと、看護師さんから入院に必要な物や注意事項を言われていたときも、放心状態でした。



帰り際、看護婦さんに「大丈夫?」と何度も言われました。



その後、他の科で看護師をしている自分の母に報告をしたときに、初めてポロポロと涙が流れてきました。



母も涙目でした。それを見ると本当に涙が止まらなくなりました。



でも、会計を済ませるまではと必死でこらえ、駐車場の車のドアを閉めた瞬間、堰を切って号泣しました。



旦那ちゃんには何とかメールをし、号泣しながら運転して家までたどり着き、その後はベットの布団の中で叫び泣くことしか出来ませんでした。



それから手術までの3日間、今までの人生で流した涙の倍以上泣きました。



最後は泣きすぎて頭が痛くなるほどでした。



旦那ちゃんは静かに



「またがんばろう、またがんばればいいよ」



と繰り返していました。



手術の前の日、旦那ちゃんが



「お別れをする」



そういって私のお腹に顔をつけ、そして初めて涙を流しました。



そのとき初めて、つらいのは自分だけじゃないって気がつきました。



お腹の赤ちゃんは旦那ちゃんの子ども。



生まれて来ないと知って悲しくないわけがなかったんです。



でも、2人で一緒に泣いてしまうと、立ち直れなくなる、そう思ったのだと思います。



そんな悲しい思いを押し殺し、仕事もしながら、ただ泣き叫ぶ私を支えてくれていました。



そして私は旦那ちゃんの涙を見て、決意しました。



絶対この人の子どもを産もうと。



11月14日、流産のソウハ手術をうけました。



手術が終わって手術室を出ると、旦那ちゃんが待っていてくれました。



病室には父と母も待っていました。



「これだけがんばったから、きっといいことあるよね」



そう私が言うと



「当たり前でしょ」



そう旦那ちゃんは答えてくれました。



振り返るとすべてが自分だけのことではないと思いました。



子どもがほしいと思うことも、不妊治療をすることも、そして、流産をすることも、すべては旦那ちゃんとだから出来ること。



一人じゃないからこれからも絶対に頑張れる。



そう思いました。



この歳になっても、親に心配かけて本当に親不孝ものだなぁって正直思いました。



そして、自分はものすごくたくさんの人たちに支えられて生きていて、ものすごく幸せな人間だというのも改めて実感できました。




だから、いろんなことに感謝して生きていかないといけないと・・・。




たぶん、それが空に帰った赤ちゃんが教えてくれたことなんだと思っています。







あと2週間ほどで6月14日がやってきます。




たくさんの人に感謝の気持ちを伝えられる日にしたいなぁと思っています。