「高齢者になる前に一言」
   2014年 川口 敬之介 66歳 
 
最近、高齢者の危険運転のニュースを時折耳にする。確かに運転する高齢者は危険な存在だろう。然し高齢者にかかわらず危険な運転行為は他にも沢山見かける。人は車に乗ると人格が変わるようだ。いや、むしろ本性が出るのかも知れない。
一概には言えないが、人は加齢に伴う身体機能の低下から自動車の運転に影響を及ぼす事は認めざるを得ない。だからシルバーマークが義務付けられている。しかし、その本性で言えば間違いなく高齢者よりはそれ以外の人のほうがより危険性をはらんでいる。
私は六十六歳だからまだ自動車運転で言う高齢者には当たらないが今も運転する機会は多い。高齢者になってからでは自分のことを棚に上げるようで言い難いのでその前に言わせて貰う。私は車間距離を充分取って、スピードは車の流れを決して阻害しない充分な速さで走っている。
運転者が走行中の車間距離をどう捉えているのか知らないが、時々信じ難いほどその距離を詰めて走る者がいる。暴走族用語で「まくる」と言うことだろう。ところが、実際まくっている者達は暴走族ではなく、一見普通の連中なのだ。しかもその中に若い女性が結構いることに驚いている。彼らはそれ程「まくる」と言う意思は無いのかもしれない。しかし前を走る人は好い気がしない筈だ。それをどう考えているのだろうか。
 この「まくる」と言う行為は、特にバイパスや高速道路などのスピードの速い道路で見掛ける事が多い。スピードが速ければそれだけ車間距離も大きくとらなければならない筈なのに。その感覚が、それによって起きる事故への恐怖感が車社会に育った若者には無いのだろうか。以前、高層マンションで育った子供達が高さを恐れなくなり、落下事故が増えているとのニュースを耳にしたことがある。「高所平気症」と言うようだ。「慣れ」と言うことの恐ろしさを感じる。車の運転には何時も恐怖感を持って運転することを心がけたい。
更にもう一つ言わせて貰うと、車線を変更する時の方向指示器の出し方である。見ていると多くの人が車線変更と同時に方向指示器を出している。方向指示器の目的は「車線変更いたしますよ」と云うお知らせの筈だ。だとしたらお知らせの時間が必要ではないか。前述のとおり、私は比較的車間距離をとる方なので、突然割り込まれる事が多い。その時事前に方向指示器を出してくれていれば私も素直に、車の速度を緩めて気持ち善く入れてあげられるのだが。
 私は今、車線変更の際の「早めに方向指示器を出す運動」を一人路上で推進中である。前もって方向指示器を出し、サイドミラーを覗く。すると多くの人は一瞬割り込めないように車間距離を詰める動きを見せるが、斜線を変えず方向指示器を点滅させたまま走行すると、以外にスピードを緩めて「どうぞ」と言う動きに変わる。そして私はゆっくりと斜線を変える。運転される方にご賛同頂けると嬉しいのだが。
最後にもう一つ、「まくる」車間距離の話をしたが、その車間距離についてもう一つ、開けすぎる車間距離の話をしたい。交差点の赤信号で止まる時の車間距離の取り方だが、最近見かけるのが、間に車が2台も3台も入るくらいの距離を取る人が居る。それをどうなのだろうと思うのは私だけだろうか?