『終の棲家』 2012年
        Keinosuke Kawaguchi 
 
「最後に安住する所」「これから死ぬまで住むべき所」・・・ 辞書に書いてある「終の棲家」の意味である。
 
五十五歳の時、私は事業に失敗して、父の残した物、先祖からの物そして母の残した物すべてを失った。そして今、六十四歳人生の終盤に入り「終の棲家」への思いが大きくなる。同時に心の底で焦燥感も味わっている。今の私にはそれを実現する余裕はどこにもないのだ・・・儚い夢に終わるのだろうか。
とは言え、私の思いは決っして消えることはない。
 
 仕事として長い間、住まい造りに携わってきた私は、建物や住まい方には多少の知識はあるつもりだ。日本の住宅には不動産としての資産価値が欧米に比べ殆ど無いようだ。構造や外観というよりは、住まい方の問題かもしれない。日本の住宅の寿命はアメリカに比べほぼ半分、ヨーロッパの三分の一・・・約二十五年という統計がある。
 
 日本の樹木の代表的な杉は柱や梁などの建築資材になるのに六十年の歳月を必要とする。つまり六十年でようやく使い物になるのだ。余談だが、私も漸くその年になった・・・
築後二十五年で今まさに壊されようとする家が、もし私に「終の棲家」として委ねられるなら、あと三十五年、私はその家を立派に蘇生させる自信はあるのだが・・・
 
今日は「春分の日」、休日だが公園の仕事だ。
土手では近くの高校のボート部がこれから練習なのだろう。私も60年ほど前は、あの若さだった・・・