世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ  詠み人知らず

   『在りし日の父と母の会話』

 

お茶の間で父と母とが珍しく温泉の話しで和んでいる。 両親が楽しそうに話すのは、子供にとっても楽しいことだ。

 

父「おまさん、一番好かった温泉、何処らった?」

母「そぅらねぇ、宇奈月温泉らろっか。」(新潟/南蒲原弁)

 

子供心に、宇奈月温泉って何処なのかと思いながらも二人の話には割り込まなかった。 母は何時になく楽しそうで、父もまたあの温泉この温泉と珍しく饒舌に話し続けていた。 私が小学生のある夕食後のひと時だった。

あれから六十数年になる。 もうその父も母も亡くなった。

そして今、父と母の享年を追い越した私と、限りなくそれに近づいている家内の二人がいる。 私たちの息子と娘もそれぞれ家庭を持って独立して親元には居ない。

 

「宇奈月温泉って黒部かしら。」

スマホの画面を見ながら家内が言った。

 

黒部と言えばあのトロッコで行く秘境だろうか。 そんな所に母は何時どうして行ったのか。 思えば私は母の事をあまり知らない。 と言うより、もっと話をするべきだった。 当たり前だが、今となっては訊く術も無い。 すべてが夢の中の出来事のようである。

もはや「夢のまた夢」なのである・・・

                            おわり