aqua1016さんのブログ

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歴史ミステリーといった側面が、この国宝屏風作成の背景にあるというのだが。


国宝といっても、指定されたのはごく最近で平成7年であるから、むしろ意外ではある。


これも、高校日本史あたりの教科書に、カラー刷りで掲載されていることで、有名になっているのではな


いか。


「洛」とは、「都」つまり「京都」のことであり、京都の市内および郊外を、鳥瞰図的に四季折々の風物と


もいうべき、様々な暮らしの一端や、行事などを、所狭しと、屏風全体にパノラマ風に、描きつくしてい


る。これまでの史実的調査の結果、この屏風図は、足利義輝が、上杉謙信に贈られることを目的に、描


かれたとされている。


ただ、現実に謙信に送り届けたのは、1574年(天正2年) 足利義輝逝去の後に、天下をとった織田信


長とされている。とにもかくにも、本作品のダイナミックさとともに、作成の意図の謎に加え、当時の京都


に住む庶民たちの暮らしぶりとともに、懸命に、けなげに、楽しそうに暮らす日常生活の姿そのものが


、惜しげもなくというか、「温良にして、細密に」描かれているという点である。


いつの時代にも、庶民の暮らしがあり、生活がある・・・


そのことを、ありのままに描いておきたかった、永徳の真意はどこにあったのか・・・謎ではあるものの、


一日中この屏風図を眺めていても、決して厭きることのない、天才絵師の才能を垣間見るのである。

いまだに、多くの謎に包まれた、謎の牙彫師(げちょうし)と呼ばれた「安藤禄山(あん


どうろくさん)」。


スーパーリアルという言葉が、当時はなかったとはいえ、こんなにも果実を、自然のも


のそのもの、ありのままに表現した彫刻師が、いたであろうか・・・


禄山は、明治18年生まれ。逝去したのは、昭和30年。象牙という「白(アイボリー)」の


素材に、「色」を染めたことから、当時は異端児扱いにされたという。


どんな世界でもそうであるが、改革とか革命とか変革の携わる者の、最初の評価という


ものは、およそ絶賛とか賛同とかには、もっとも程遠くにあり、むしろ、排除される力


が、様々な方向から加わるものである。


それでも、その人の生活と暮らしのすべてをなげうってまで、とことん追求する執着


心、情熱、探求心というものには、大いにまなばなければならない。


その意味で、「成果」と、それに対する「評価」というのは、えてして短期に求めがち


である現代人である。


「評価」というものは、むしろ中・長期的な観点から下されることの方が、より健全


で、良識的 (常識的ではなく)となる場合も多いということを、今回の禄山の作品から


学んだ次第。

先日、上野の国立西洋美術館にて、実物の本作品を鑑賞させていただいた。

美しく、ため息しかでなかった。

特に、スフマート技法と呼ばれる、肌の色や表情や身体全体ににじみ出ている、ぼかし


の技は、500年を経てなんらその美しさにおいて、衰えを知らないことで証明されたと


いっていいのでは。

慈愛と気品にあふれている本作品であるが、背景を黒く塗りつぶされている点が、いま


だに謎とされている。

ラファエロがそれだけ、背景にこだわりつづけたが故に、デッサンとも比して試行錯誤


が重ねられたことがうかがわれる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、盛期ルネサンス期の三大巨匠の一人。

37歳にして、ローマにて死去してしまう運命に。生命の芸術が開花したルネサンスも、


ラファエロの死とともに終わったとされるだけに、ただ無念としかいいようがない。

ハプスブルグ家のフェルデナンド3世が、公私を問わず、片時も手放すことがなかった


というほど、この作品を称賛し、溺愛していたという。37年間を、長いとみるか短いと


みるか、いずれにせよ、濃密に生きた画家の美の芸術の結晶が、ここにある・・・