本能的に自分のなかで考えていたことと、反精神医学的立場の方々と知識の差は大きいけれども、自分の考えが面白いほどに納得できることばかりの休暇だった。


ブログ 「精神科医の犯罪を問う」 「 八咫烏(やたがらす) 」 「精神医療被害当事者会ハコブネ」

本 「大笑い!精神医学」


子どもの日を前後して、発達障害に対する考えはひとまずここで一区切りをつけておきたかった。


また、アメブロには精神科医ブログが山ほど存在するし、ブログ以外でも、掲示板で疑わしいうつキャンペーンともとれるようなスレッドも平然と存在する。実際、反対意見投稿して削除されたときは苦笑しました。


ここでしばらくは発信してみようかと思います。そしてリンクさせていただいた素晴らしいブログへ繋がってくれれば嬉しい。


誰しもが、おかしいことはおかしいと普通に言えますように。


明日より、しばらくは完全断薬に入ります。解毒と仕事に専念いたします。


以下、転載します。 

http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53729651.html


反精神医学批判について


とりあえずこれを読んでみましょうか。
http://blog.livedoor.jp/kyoclinic/archives/4312821.html

この児童精神科の「専門家」の先生が、「反精神医学問題って何か、というと、うつ病や発達障害は存在しない、という主張を繰り広げる方々とそれに賛同する方の問題です。」と勝手に定義していらっしゃるようです。そして、精神医学を批判する連中は「発達障害は存在しない、親の養育で防げる。うつ病は存在しない、新型うつは社会に適応できない若者の甘えだ。」と主張する人々であると印象付けています。

このあたりはさすがに上手だなと思います。わざと人々の反感を引き起こすようなフレーズを巧みに用いて、精神医学を批判する人は、とんでもない主張をする人々であると誘導しているからです。

確かに、そのような主張をする人はいます。しかし、本当の意味で「反精神医学」(※と言っても1970年代の反精神医学運動と意味合いが多少異なりますが・・・)を理解している人々は、そのような乱暴な論調を用いません。

精神医学が主張するところの発達障害やうつ病のような「症状」は存在します。それに対して(精神医学ではない)医療的アプローチも含めた何らかの支援が必要であることを認めた上で、そこに精神医学的診断・疾患概念・治療アプローチが入り込むことを猛然と批判するのが、最近の反精神医学というものです。

なぜ批判をするのか?

根拠がない、意味がないというレベルであれば黙認できますが、有害であるからに他なりません。その理由は後述します。

さて、リンク先の「専門家」は、疾患概念の取り間違いという言葉を使っていましたが、精神医学こそがまさに疾患概念の混乱を意図的に引き起こしています。

精神医学では、「病気」「疾患」「症候群」「障害」という言葉が巧みに混同されています。正確に言うと、精神科領域において「病気」「疾患」と呼ばれるものは、全て「症候群」に過ぎません。なぜならば、うつ病一つをとっても、その原因や病態が明らかにされ、疾患概念が確立されているわけではないからです。原因は不明であるが共通して同じ症状が観察される場合、それを症候群と呼びます。

精神病を脳の病気だと主張する精神科医が多く存在します。しかし、いまだかつて誰もそれを証明したことはありません。脳内の分泌物のバランスが崩れているという、いわゆる脳内化学物質の不均衡という概念も、結局は生物学的精神医学や製薬産業にとって都合の良い仮説に過ぎず、誰も証明できていません。

ですから、うつ病という呼称自体に問題があります。うつ症状やうつ症候群は存在しても、うつ「病」の存在は誰も証明していません。そのような段階で、セロトニン説やら脳の病気説が、あたかも真実であるかのように流布してしまったことが問題なのです。結果として、うつ病とは脳の病気であって、薬を飲めば治ると多くの日本人が誤解させられ、うつ病バブルやそれに伴う甚大な被害が起きたのです。

障害という概念についても同様に混乱があります。障害=病気と混同されているのもこの精神科領域です。この混乱を引き起こした一番の戦犯はこの人物ですが・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53302336.html

ちなみに、DSMにおいては、うつ病はmajor depressive disorderであり、その訳語は「大うつ病性障害」というわけのわからないものになっています。結局のところ、何一つとして精神病の疾患概念を確立できなかった精神医学は、障害概念を取り入れるよう診断のアプローチ方を変えてきたのです。

発達障害という概念も、疾患モデルを諦めて障害モデルとして取り入れられました。しかし、臨床現場では巧みに疾患モデルが混入されています。リンク先の「専門家」なる人物による「生まれつきの生物学的疾患による発達障害」とする表現などまさにその典型だと言えるでしょう。

反応性愛着障害や被虐待児症候群のような二次的障害を発達障害と取り違えるな、などと主張する精神科医に是非とも尋ねたいことがあります。後天的な原因で発達障害様の症状を引き起こしている子どもと、先天的な原因で発達障害様の症状を引き起こしている子どもと、本当に区別できているのですか?現在発達障害と診断されている人々は、先天的疾患であると証明された上で診断確定されているのですか?
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53167370.html

精神医学的診断アプローチでは、全てを精神医学的治療対象へと「根拠なく」包含してしまうことが可能になってしまいます。たとえば、発達障害にしても、「生まれつきの生物学的疾患」などと一方では言いながら、その診断アプローチはそれを確定するような手法ではありません。そもそもその定義すらあいまいなので、何でも治療対象として抱えてしまうことになります。

本来治療対象でない子どもたちが誤ってその対象となったらどうでしょうか?診断を受けたら支援が受けられるからいいじゃないかと言う人もいます。しかし、そのラベリングは本人に一番影響を与えます。自分は生まれつき脳に異常があるんだと思いこまされ、そして周囲からそのような扱いを受けたまま成長していくのです。実際にそのような当事者からの苦悩を聞かされています。

そして何よりも、向精神薬による治療は取り返しがつかない事態を引き起こします。本来向精神薬が不要であった子どもに対し、安全性すら確立されていない薬を長期的に投与すること―これがどれだけ心身に悪影響を与えるでしょうか。実際の臨床現場では、多剤処方など信じ難い投薬もしばしば見受けられます。実際、それが原因と思われる死亡例も出ています。

繰り返し述べていますが、支援が必要な人を切り捨てるつもりは毛頭ありません。先日の文部科学省の調査にしても、教育的支援が必要な子どもがどの程度いるかという目的の調査であれば問題ありません。そこに精神医学的診断アプローチが入り込み、結果が歪められて医療的支援のニーズへとすり替えられていることが問題なのです。

うつは甘え論=反精神医学という類の印象操作には興味深いものがあります。精神医学に異を唱える人々は狂信的、非理性的、冷酷だというイメージを植え付けたいのでしょうか。そして、困っている親の反感をそちらに向けさせたいというのでしょうか。現在、精神医学には様々な矛先が向けられています。自分に向けられた矛先を別の対象に逸らすという手法はよく使われるものです。

親学が批判の矛先に挙げられても、なぜ併用禁忌の向精神薬を平気で子どもに出す児童精神科医は批判の矛先に挙がらないのでしょうか。専門家を名乗るのであれば、児童精神科領域でずさんな診断・投薬が横行している現状を、「専門家」として何とかしていただきたいです。