拍手 | 毒を持つ人

交流を切ると、しつこい電話(無言電話)や、メール(無言メール)に

被害者は悩まされたと思いますが、わたしもそうでした。


ブログにつけていた、『拍手』機能です。

(知らない方へ=いちクリックでいち拍手ができる、足跡機能のようなもの。

拍手を連打することも、短いメッセージも送れます)



ところで、このブログではモラさんの発言に、よく

「!」をつけています。

交流のあった頃、モラさんの口調はそんな感じだったので、そうしています。

わたしわたしわたしー!

わたしの話を「友だち」のあなたにきかせてあげる! 

自分の話ばかりを、どーっとまくし立てる、その印象のままです。


そんな痛い人なら、周囲の人もモラさんの方が痛い人だって分かるよ……?


そう思われるでしょうが、そうはなりません。

100%、加害者の勝利です。

第三者を洗脳する時のボーダーの口の巧さ、手口の巧妙さは独特。

こちらが被害を訴える、その二十倍も、三十倍も

加害者は、被害者こそがおかしい、狂人だと、

広範囲に刷り込み、言いふらしているからです。

どんな材料でも、【攻撃】のネタにされます。

『拍手』も、そうでした。



交流を切って数年目。

無言電話ならぬ、無言拍手が、連日つづくようになりました。

ある日突然はじまり、それから二ケ月ちかく、毎日毎日、いち日一回だけ、

ぽつんぽつんと、陰気に、でもねちこい感じで、一回だけの拍手が入るのです。

だいたい同じ時間帯に一日一回。

メッセージはありません。


モラさんだ、と思いました。

※後に間違いないことが分かりました。

モラさん以外、他にそんなことをする人はいません。


気持ちが悪い。


連日続く、いち日一回の、無言拍手。


拍手を押す時の、モラさんの念の強さ、重さ、どろんと濁った

何かの情念の、その気持ち悪さ。

「わたし、見てるからね~」

「あなたを監視しているからね~」

「わたしの存在はここよ~」

そういいたげな、押しつけがましい、一拍手。

拍手には、たまに、本当の感想が入ったりするので

どうしても解析を見ないわけにはいかず、すると必ずそこに

モラさんが残した

『足跡』

を毎日発見するのです。


交流を断ってから、いったい何年経っていると思っているんだろう……。

無視していたらそのうち止まるだろうと願った根比べよりも

生理的嫌悪感が勝りました。

わたしは拍手機能を外しました。


拍手機能を外した、この『事実』。

これも、モラさんにとっては、絶好の、【攻撃材料】となりました。


ふつうなら。

交流を断られた相手のサイトに押し掛けて、一日一打、

ほぼ同じ時間帯にしつこくしつこく無言拍手をしていた自分の行いを省みて、

彼女が拍手機能を外したのは、

自分の行為が気持ちが悪かったからなのかな……

迷惑だったのかな……。


そのくらいは、想像すると思うのです。

モラさんは、そうはなりません。

ボーダーの脳内変換では、悪人はいつも、自分ではなく、ターゲットです。

言いふらします。


「コトンさんは自分が認められないからって、やけを起こして

拍手機能を外してしまったんだ!!!」


「拍手してくれる人の応援を無下にして、傲慢に

自分の世界に閉じこもってしまったんだ!!!」


それだけでなく、わたしから取り上げた交流先に、嫌味ったらしく

大量の拍手を送り、

「拍手してくれてありがとうございます」

「モラさんの応援に、励まされています」

そう言わせました。

それを得て、モラさんは印象操作をまた始めます。



認めてもらえないからって、いじけて拍手を外しても、悪くなる一方なのにね。

地道に誠実にやっている人ならば、拍手に感謝するものなのにね。

コトンさんは人を憎んでいるのです。

憎むことで、【絶望】から身を守っている、不幸で、残念な人なのです。

それなのに、

認めてほしいと思っている。

それじゃいけないのにね。

そんな人間は、誰からも認めてもらえなくなるんだぞ。



「黙って応援することすら、許してもらえない許してもらえない」

「コトンさんは、気が強い強い」

「でも本当に強い人は、人の親切や好意を、感謝して

素直に受け取る人のことです!!!」


世論がコトン憎しに傾くように、悪評を吹聴し、はなしを一気に

ここまでもっていってしまうのです。

(この間、わたしはノータッチ)


交流を切った相手につきまとい、連日一拍手という、気持ちの悪い

行為を重ねておきながら、

モラさんは自分が相手に不愉快行為をしたという事実の直視からは逃げ、

わたしのせいにして、大勢の人に、泣きついていました。