読みもの | 毒を持つ人

●あなたは、スーパーからの帰り道です。

両手に荷物をいっぱい持って歩いていると、向こうから

近所に住んでいる、境界例さんがやってきました。


「大変そうだね。荷物を半分もってあげようか?」

境界例さんが言います。


~してあげようか

若干、上から目線です。



日頃から、少し引っかかるところのある境界例さんですが、

何に引っかかっているのか、自分ではよく分かりません。

顔を会わせる度に立ち話をしたことはありますが、それだけの関係です。

人のことを悪く言ったり、偏見を持ったりしてはいけないので、あなたは

境界例さんに何かひっかかるものを覚えても、この人はこういう人なんだなと

思い直してきました。



荷物もあることですし、あなたは境界例さんの

親切を受け入れることにしました。

道々、他愛のない話をしながら、家まで行きます。

境界例さんはざっくばらんな明るい性格で、あけすけといっていいほど

いろんな話をします。

無遠慮ですが、悪意は感じられないので、咎めだてるほどのこともありません。

調子のいいお世辞をいってくれる境界例さん。

かと思うと、

実はいま大変で…、と深刻な話に移ります。

内容はプライバシーにも底触する内輪話です。



何故、わたしにそんな話を?



相談の内容と、こちらが相手に対してとっている心理的な

距離との落差に、あなたは戸惑いますが、会話の中なのですから

「そう、大変ですね。わたしならこうするわ」

程度のことを、答えておきます。

境界例さんは手放しであなたに感謝します。

「ありがとう。あなたって大人。尊敬します。相談してよかった」


素直といえば素直です。

誰にでもこんな調子なのかもしれません。

憎めない性格というやつでしょうか。


わが家につきました。

そこまで荷物を運んでくれた境界例さんに、あなたはお礼を言いました。

去り際、境界例さんは、

「気にしないで。あなたとわたしは友だちよ」と手をふりました。


……友だち?

疑問に思いますが、深く気にしないでおきます。




●翌日です。

インターフォンが鳴るので、モニタに出てみると、境界例さんです。

「今日は外に出ないの? 荷物を持ってあげようか?」

そう言います。

変なの~とあやしみならが、

「今日は買い物に行きません。ありがとう、結構です」

と応えます。



●その翌日です。

モニタに出たあなたは驚きました。

境界例さんが、あなたと同じ色の鞄を持っています。

偶然というには、ちょっと気味が悪いです。

その気持ちをあわてて、あなたは打ち消しました。

(偶然、偶然。人のことを悪くとるものじゃない)


境界例さんは鞄を見せびらかすようにして持ち上げながら、

無邪気に昨日と同じことを申し出ます。

あなたは断ります。

すると、

「いつも、どこにスーパーに買い物に行っているの?」

境界例さんは訊いてきました。



答える必要あるのかと思いながら、隠すほどのことでもないのだから

あなたはスーパーの名を言います。

そこだけじゃなく、他のスーパーにも行くので決まってません、と言い添えます。

境界例さんは、頷きました。

「わたしはそこじゃなく、隣町のスーパーに通っています」

「そうですか(知ったことか)」

「わたしその店の店員と親しいから、特別あつかいされてるんだ」


スーパーで特別扱いってなに?

それがどうしたの?


「はあ、そうですか。では」

「今から一緒に行かない?」

「ええっと、今日は買い物の必要がないので……」

「じゃあ、いつ?」


……?



はやくインターフォンを切りたいのですが、境界例さんは

モニタの中で小首を傾け、さらに言います。


「分かっていないようだから教えてあげますが、

ひとの親切は受け入れたほうがいいと思いますよ?」


???


「そんなふうに心を閉ざしていては、視野がせまくなり、成長がありませんよ?」


???



頭がついていきません。とにかくヤバいことだけは分かります。

境界例さんの側はまったくおかしな話をしている様子がないのが、さらに恐怖です。

下手したら、こちらの頭がおかしいのかと思わされるほどの、自然さです。

単体で取り出せばおかしなところはない、むしろよく聞くセリフなのですが、

この距離間で、この流れで? です。

善意のようなのですが、

何かが決定的に噛み合っていません。


「すみません、ちょっと、鍋を火にかけていますので」

何とか、インターフォンを切りました。


翌日です。

ピンポーン。



ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

ピンポーンの音は高なります。

無視します。

ヤバい人、気をつけなくちゃ、とあなたは耳をふさぎます。

ピンポンの音は、止まりました。



ピンポーン、ピンポーン。

翌日以降まいにち、境界例さんはあなたの家に立ち寄るようになりました。

玄関越しに

「ふうん、人の親切が分からない人なんだ、あなたって」

吐き捨てられる日もあります。

ある日など、ポーチのところに、紙片がおいてありました。

開くと、こう書いてありました。


『逃げるのか。ひきょう者。』




ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

ピンポーン



「いいことを教えてあげているのに、なぜ、受け入れない」

「人と向き合え、ひきょう者」

「愛想ばかりで本心を隠しているのだろう、それでいいと思っているのか」

「隠し事をするな」

「人と人はぶつかりあい成長するものだ、なぜそれがわからない」

「お前には欠けているものがある。だからこんな態度をとるのだろう」

「人に迷惑をかけるな」

「電気がついているのだから家にることは分かっている」

「嘘をついていいとでも思っているのか」

「お前は、物事を白と黒でしか分けない、異常者だ」

「裏切られた!」



●警察に通報したほうがいいのか迷っているうちに、境界例さんは

家に来なくなりました。

大ごとにしてしまうと後が面倒ですから、あなたは、ほっとします。


おそるおそる、あなたは買い物を再開します。

スーパーに行きました。

近所の奥さんたちが集まっていたので、「こんにちは」と挨拶します。

なにか、様子が変です。

挨拶は返してくれたのですが、むすっと黙っている人もいるのです。

奥さんたちは、あなたが通過した後も、ひそひそと何かの話をしているようでした。


しばらくして、あなたは、近所から疎遠にされていることに気づきました。

理由は分かりません。



●町内会では、地域のおしらせを、回覧板にして回しています。

あなたの家にも回覧板が回ってきました。

届けに来てくれた隣人の態度が、以前とちがい、何やら変です。

不信に思っていると、その人が、気まずそうに言い出しました。

「言いたいことがあれば、面と向かってはっきり言ってくれたらいいのに」

「はい?」

「境界例さんに対しても、そんな態度をとっていたそうですね。

腹の中では何を考えているか分からない人って、わたし、苦手です」


???


隣人はため息をついて、いやそうに、あなたに言います。

「夜おそくに訪問して、すみませんでした」

「ええ??」

「失礼します」


その時、隣人の態度が急変した理由を、あなたは知ります。

以前、境界例さんにあなたは、こんな会話を交わしたことがありました。


あなた 「はやく帰らないと」

境界例さん 「どうして?」


あなた 「お隣の人からの回覧板、いつも、いまぐらいの時刻に来るんです。

今日あたり来そうな予感」

境界例さん (頷く)


あなた 「買い物とか、夕食の支度と重なることが、多いのよね」



境界例さんは、この話を、

「あの人、あなたの回覧板を回す時間が悪いって、怒ってたよ。

遅い上に、こちらの都合を考えてくれないから、ムカつくって。

何か不満でもあってイライラしていて神経質なだけの人なのかもしれないけれど、

これからは非常識だと思われないように、気を付けたほうがいいんじゃない?

わたしも、あの人にはいつも迷惑かけられているの。

もしかしたら、人格障害者かもしれない、って思うほど。」

こう伝えて回ったのでした。



ピンポーン。

ピンポーン、ピンポーン。

ピンポーン。


モニタには、境界例さんが映っています。

満面の笑みです。

目は笑っていません。

「わたしはあなたの味方よ」

耳をふさいでも、境界例さんはドアの向こうから叫んでいます。


「わたしたち、友だちでしょ」