心地よいつかれつかれ過ぎて思考がまわりませんピークの死にかけに比較すれば全然大したこと無いが。毎日幸福な割には…、見え方を考える余力もなく、表情が能面になりつつあります。一時と比べたらたぶん表情筋的に別人なのではなかろうか(笑)休みはもう何もしたくない病です。脳が数年前から防御本能でまるで冬眠しているようです。春は、目覚めはくるんでしょうか。
幸福もう、想い出だけで十分生きてゆけるくらいに、本当に充実した全てのシー ズンが密で素晴らしい半生だったかと、今はそう振り返る。生で見る限りの全てを、みつくしてしまった体感。ありがたいこと。私は、キチンと人生に向き合って精一杯私なりに生きてきた。そして、それは他の皆より少しも優れているわけでも劣っているわけでもないと。その認識に辿り着く。幸福を外に、遠くに、さらに探しまわっていたけれど、自分の深くに、己で築くことができるということを発見して感動する。人生を深く堪能する味わい方を得てきて、大人になったなと感慨深い。数年前に強烈に理想としていた全てを…、今、実現させることができていて夢みたいなのである。内側が潤い、満たされ、外界で少し何かが起こったとしても、ひたすら本当に幸福。人生の第二章からは、愛を軸に、美しく、磨かれた心で、私らしく生きてゆきたい。人生がどのような困難を投げ掛けても、愛があればきっとできるはず。
宇宙の大きな力一度死んだ際に見た映像で、色々と想像できることが増えた 。例えばかのオードリーも、生まれてすぐの際に、一度死にかけて蘇生した体験を持つらしい。脳が酸欠で死の間際になったとき、恐らくエアバックみたいなのが飛び出すんだろう。その際に映像を見て、本当に正しいことを学ぶのかもしれない。真・善・美。宇宙を素晴らしく保つために大切な軸。いくら頭脳の機能性がよくとも、身体能力に長けていても…、必ずその使い手は正しい方向でなければ全てが無意味だ。凄い速く走れる車に鍛練を重ねたのに、ゴールを間違えて設定してしまえば全てがパァなのだ。使い手は、思想は…、やはり美しく、清く、正しく、ウットリするように理想的で綺麗事でなければならない気がするのだ。