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きつねのおきゃくさま

四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

自分自身が好みだと思う人はどんな人か、客観的に見てみると、

そもそも基礎として、様々な要素がバランスよくレベルの高いひと、自分らしく一貫性をもって生きている人、常に向上心をもって前向きに生きている人。こういう人たちを素敵だなと思い、尊敬できこれからも傍らで見ていけたらなと思っている。

私は、何やらかんやらあるが、それでも自分の人生も割りと気に入っていて、自分の持ち物だけではなく、そもそもの私自身自体に対して誇りを持っているので、そこを好ましいととってくれる人と交友をもちたいし、

後から持ち物や若さ、色などに寄ってくる強欲だったり浅はかさ薄さの目につく男性などでなく、昔から一途に大切にしてくれた人や、人物そのものを好きでいてくれる人を厳しく見極めて絆を築いてゆきたいと感じる。
いろいろと乗っていた特殊部分を取ってみて、平坦にしてみて、何が陥没部分か見えてきた。

全ては健全なのだが、
例えると部屋のスイッチを限定一つずつしか同時に点けられないという縛りがあるようだ。なので、同時に部屋全体を見渡すという一般的な状態の実現が、不可能なのだ。すると、部分部分で順番に見えるものを、全て見終わってから、知能で全体を組み立て、照らしきれなかった隙間は想像力で補う作業をしなければならない。つまり、人の何倍も何倍も時間がかかる。唯一メリットがあるとすれば、かなりジックリ見てゆくので、一般より深い理解、繊細な再現ができるというところだろうか。

あとは、部分以外は真っ暗なので、基本的に光が点っているところ以外は完全に知覚されない。ということは、余計な騒音がいくら大音響で鳴っていようが、明かりが点いてないところで虫が飛び回っていようが、全く認知に入ってこないことになる。異常な集中は、もしかしたらこのメカニズムから起こるのかもしれない。と仮説。

しかも、部分部分に光を点ける際、焦点の絞りというか、ピントをあわせるのにかなり時間がかかるという難点。まぁそんな感じか。

この部分集中の原理ですが、私のもひとつの特質→いろいろ体内から精神性がわき出てしまう件 と合わさって、そちらに焦点がフォーカスされてしまうと、全く外界が理解できなくなってしまう。

あー、大学院に戻って極めたい気もする。
今さら無理か(爆)
久しぶりに会って、たまに、

別人みたいだ

と、言われる。
良いものも悪いものも何でもかんでもたくさん引寄せて、私を溺れそうにさせる要素になってしまいつつあった一生懸命愛情込めつつ集めた私を私たらしめていたであろう素敵な持ち物たちを、もう、全部捨ててみた。

流行りの断捨離効果抜群!

絡まってきたものと一緒に全部捨てて、とっても清く身軽になり、シンプルになった。引寄せたいものも、引寄せたくないものも、何とも接触しなくなった。

そして、
主に記憶と、人格までも失った。人が誰か解らなくなるのは先天的だったかもしれないが。

やはり何か人とは違っている感覚は同じままだが、違和感の根元を分析でき、それも含め受け入れられるようになった。
さらに幸せである。