いつもながら偏った愛を込めて?の完結編、
映画「ジョン・レノン、ニューヨーク」を通して感じた
ジョンへの想いをお送り中にひひ


(カッコいい…… なにげない写真でも絵になる男涙

久々の独身生活を楽しむかのように始まったロス生活も、
わずか数日で弱音を吐き始め、
1年を過ぎた頃には………

「ヨーコなしには生きられない。もうボロボロだ。
 こんなに彼女が必要だなんて(泣泣)」


ヨーコへの愛を再確認するジョンでしたあせる
(弱音を吐くジョン・レノン…胸に来るものがありますしょぼん

レノンさん心機一転
「もうダメだ!酒を断とう、LAから抜け出そう!」
(そうそう そうこなくちゃラブラブ

ジョンは、LAで常に自分と酔っぱらってた
フィル・スペクターやらその他大勢を除いた、
まともなミュージシャンやエンジニアだけを引き連れて、

ヨーコには会えないながらも(勇気ナシ…)
ニューヨークに戻りスタジオでアルバムを作り始めました。
タイトル「心の壁、愛の橋」

ジャケットは、11歳の頃のジョンが描いた絵です。
米英でのタイトルは「Walls & Bridges」
素敵な絵。優しいタイトル。

余談、ちなみにここは絶対 日本でも……
「Walls & Bridges」にするべきだったでしょうビックリマーク

なんなんでしょう「心の壁、愛の橋」って
ダサっっ!!

ジョンはそう言ってないんだし(心の~、愛の~)
適当に含蓄あるよーな、フンイキ言葉入れちゃったよ……。

心とか、愛とか…、ジョンっぽいってか?
(てゆーかまさかのジョンが許可?)
「Walls & Bridges」のほうが絶対良かったと思う~~ヽ(`Д´)ノ
(まあ ヤァヤァヤァ!とかいろいろあったしイイけどさ もう…)

話戻しましてべーっだ!テヘ
この頃スタジオに遊びに来たエルトン・ジョンとの雑談
「おいジョン、今度マジソンSGでやるライブ、一緒に演ろうよ」
「いいぜ、もし『Walls & Bridges』が1位になったらな」

フザケて答えたジョン、しかしそれは真実(1位晴れ)になります

そして……エルトンとの共演が実現ビックリマーク
「あの日のニューヨークは揺れたよ!!」Byエルトン



ちなみにこの頃のエルトンさん

衣装がスゴすぎ。。。w

(ジョン「そ・それ…流行ってるのかい?あせる」)


ライブを終えてのジョンの感想……
「あまりの観客の反応の良さにびっくりした。嬉しかった。
 厳しい評論家のせいで、自分に自信をなくしていたんだ」


(愛しい裏話…、ジョンは緊張で
 出番直前までトイレで吐いてたそうあせる

そして楽屋へ戻ったジョンが目にしたのは……。

久々に見る、ヨーコの姿でしたしょぼん(泣…良かったねジョン)


優しい写真です。
ヨーコ、奇抜な芸術家というより仏サマのようなお顔。。。
ジョンの心情を想像すると…堪らないものがあります。

追記として、
意外と思われるような伝聞もありますあせる

エルトンのコンサートにヨーコを誘ったのは
誰なのか分からないとのことですが(Byエルトン)

この「Lost Weekend(失われた週末)」時代、
ジョンのもとにヨーコを引き合わせようと
色々気づかっていたのは。。。。

ヨーコの恋敵(いや…義弟か?)
ポール・マッカートニーだとのこと(ええっにひひ
(2010年 TIME誌)

ポールは、ジョンに会いにLAに遊びに行くときも
ヨーコに連絡をとって、
「僕は行ってくるけど…。どうしたらヨーコは
 ジョンの元に戻ることができる?」
って聞いたそうで。

ポールは、ジョンの不安定な様子を知っていて、
自分に出来ることは何か…と自問していたよう。
(マジあいつ死んじゃうんじゃね?って時もありましたからにひひ
ジョンの心配を、ジョンに分からないようにしてたみたい?


(ああっ残念 この頃のポールはチョビヒゲ時代w コソ泥のようだ…)

それがホントなら、本当に兄弟みたいしょぼん
(兄と弟って、きっとそんな感じ?照れ屋だけどプライド高くて)

こうした周囲の動きなど、ドラマチックな経緯で
ジョンとヨーコは無事ヨリを戻しますクラッカー

さて…一方72年以来アメリカ政府から、
「出てけコラァビックリマークって言われ続けつつも、
無視し続けたジョンですがにひひ
(でもほんとにそろそろヤバかったと思う…)


「誰も傷つけないから、このまま住みたい…」法定へ向かうジョン

なんという、ピュアな言葉でしょう。
誰にでも噛み付き、反体制をヨシとしてきた
NYでの数年間への、

ある種、世間への「許し」を求めているような言葉に
聞こえるのは……私だけ?

こんなふうに素直な気持ちを、
あまのじゃく封印して表面に出すジョンは
本当に愛しくて、
何としても実現してあげたい気持ちになります…。

そんなワタシの気持ちが通じたのか(ナイナイ(ヾノ・∀・))
なんと一転1976年、4年半の努力が実り
上訴裁判所の決定で「米国永住権」を得ますクラッカーオメデト~クラッカー

嬉しい事は重なります。
「ジョンの誕生日」である10月9日には、
ヨーコとの息子「ショーン誕生ビックリマーク
(同じ日!奇跡~)←ヨーコナイス!!


不安と絶望と自己否定ののち、
ようやく得た、暖かい、絶対的な居場所……。

横には愛する妻、自分の手を必要とする息子。

ジョンは…社会とのつながりを断ちます。
なんとこの時代に、ハウスハズバンド(主夫)となるというえっ

もったいないというかなんというか、
ファンとしては「英断!い、いや愚断?」という複雑な気持ちにひひ

でも、一つ言えることは、
ジョンにはとても必要な数年間だったでしょうしょぼん
この頃のジョンは、「人間になろうと」しているような
暖かな日々に包まれています。。。

「自分のことが誇らしくて…」こんなセリフ!ジョンが…。

「苦労して作ったパンを食べらちゃうとがっかりだよ」(笑)

LAでの精神どん底時代を
一緒に過ごしたクラウス・フォアマン(好き…ラブラブ)は、
パンをこねるジョンを見て
「なんて美しい光景だ」と感動したそうです。

この頃のジョンは、普通に子どもと笑い、遊び、
普通のママと同じく忙しく過ごし、
「座ってゴハンを食べるヒマもナイ!」ってやつ
↑ワタシにとっても懐かしい~にひひ

主夫ジョン「ヨーコ大変だ!ショーンが熱を!」
仕事帰りヨーコ「大丈夫よお~~w」
ジョン微熱で大騒ぎにひひ(微笑ましい。。。)

声も、表情も、歩く姿でさえ幸せに輝き
まるで別人だったといいます。(泣き。。。うう)

(一方育児をジョンに任せたヨーコは、
 この数年間でジョンの資産を運用し、
 4倍に増やしたりしてます。敏腕すぎw)


幼い頃から複雑な環境で育ったジョン、
あれほどの成功を手にしても常に不安定だったジョン、
とうとう手に入れたね。幸せな5年間……。

ビートルズの絶頂を味わい、そして失望し、

ヨーコを得て 平和や反体制に身を投げ出し、

ヨーコを失い 一番欲しいものが何か分かり、

自分の分身であるショーンを得て
「自分の子供時代をやりなおしてる」
かのようなジョン。

この時のジョンは、「叛」って書いてある
ヘルメットをかぶろうと思わなかったと思います。

もう、居場所探しも、噛み付くための相手も、
必要なかったはずですしょぼん

そして。。。。
5年間の(長っっ!)「人間リハビリ」を終えたジョン、
やはりここに行き着きます。

「音楽に、戻ろう!」


アルバム「ダブル・ファンタジー」を制作

収録されたのは、まさに再出発のための曲「Starting Over」
最高ですしょぼん声ははずみ、喜びに満ちています。
「遠くへ飛んでみようよ、僕らの新しいスタートだよ」

そして「Woman」
「Beautiful Boy」。。。

美しくて優しい曲達は
この時期のジョンの心から出てくる、素直な言葉でしょうしょぼん

究極のシンプルな言葉を目指していた
かつてのジョンとは異なり、

まるで暖かい日記のように、
読ませる者の頬をゆるませます……。

このアルバムは、「今のジョンの居場所」
を明確に表したメッセージです。

若者もいいけど、共に時代を育った連中に語りたい。
もう僕もミドルエイジさ。
僕は戻ってきたよ。
そっちの調子はどう?
色々経験したかい?

ジョンは優しい声で、そう語ります。

「戻ってきた」というその場所は…
きっと ジョンがずっと欲しかった場所。
良かったね。


そして まさしくそうした時。。。。
「ダブル・ファンタジー」発売から数週間後

あの、忌まわしい、
理解しがたい事件が起きます。

1980年12月8日
ジョン・レノン 40歳
ミキシングの帰り道………



1人のファンと名乗る男に、サインを書いて渡したジョン

その男 マーク・チャプマンに
直後 背中から銃弾を打ち込まれ

命中した4発は全て致命傷で


その数時間後
世界は悲しみに包まれます………。



この頃のジョンは、
自分に会うため長い間待っているファンの誰にでも、
気持ちよくサインを書き、写真撮影に応じていました。

こんな形で。
ジョンの生涯は終わってしまった。


こんなにも、ジョンを愛する者たちを残して。

ジョンにしか出来なかったたくさんのことを残して。



私は……、
この日に起きた出来事の意味を考えます。

先に述べたように、
運命に示された結果は、
どのみち最良の道 もしくは必然の道と
生来感じつつ生きている私ではありますが、

この日に起きた出来事の意味って。。。。

まさに音楽の世界に戻ってきたジョンに、
そして世界ツアーを計画していたジョンに、
しかも念願のNYの地で、

起きてしまった事の意味って

何だったんだろう。。。。

私の信念が崩れるような心持ちがします。

ただ。
私はジョンの無念を感じつつも、

家庭の愛、仕事への充足、想像される輝かしい未来…という
彼の人生で一番「幸せのただ中」を迎えていたこの日に

ロスではなく、
NYでヨーコと過ごした時間の中で、

散っていったということに
一ファンとしての安堵も感じます。


ジョンは何を考えたでしょう

走馬灯というものがあるのなら、
ジョンには何が見えたでしょう




ジョン……?
「イマジン」では、「天国はない」って歌ってたけど

ジョンの居る場所は、暖かいかな…?

イマジンで歌ったような、
苦しみのない、
安穏な世界の中にいるのかな……?

ジョン、安らかに。

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思いがけず長くなってしまいましたが
(しかも最終回のしめっぽさにひひあせる

映画「イマジン」にも、
ライブ映像にも見る事の出来なかった
「人間 ジョン・レノン」の一面を垣間見る事の出来る、

映画「ジョン・レノン、ニューヨーク」

機会があればあなたもぜひラブラブラブラブ
(ってとことんネタバレ済みにひひゴメンナサイ~)