ファンの間では
今日は特別な日ですね。

34年前の今日、

1980年12月8日
自宅ダコタハウスの前で
銃殺された 40歳のジョン・レノン

私はまだ幼くて
何も分かりませんでしたが

世界の衝撃はいかほどだったか…。



私にビートルズを教えてくれた
英語の先生は、

「あの日は大学の授業中、
 クラス後方から何やらざわついて
『ジョン・レノンが殺されたって!』
 って…」


先生は、すごくショックを受けたけど
「でもジョンは、そういう風になるような気がした」
って言ってました。



先生、あまり驚かなかったって。。。

当時の私には、どういう意味で
先生がそう言ったのか
分かりませんでしたが
その言葉自体はよく覚えています‥‥

それにしても
長いハウスキーパー時代を終え
ようやく音楽活動を始めようという
まさにその時
そんなことになるなんて

神様がいるのなら、
それってどういう意味を持つのかな…?

ジョンとポールを引き合わせたように
どこかに神様っていると思いますが(無宗教ですがあせる
34年前の今日起きたことに
運命的な・肯定的な・
意味を見つけようと、
ファンの私はしてしまうんです
(だって悲しいからしょぼん



ビートルズのメンバーについて
何か思う時に、

いつも頭には
「ジョン・レノンあっての」
付く気がします。

私は自他共に認めるポールファンですが

良くも悪くも、私にとっては
「ジョン・レノンあっての」
ポール・マッカートニーなんですよね。
そしてそれを光栄に思っていたのも
ポール本人で…。

「いつも彼の横にいて、
 彼と一緒に曲を作ってたのは、この僕だ。
 色々な彼を見てたのは、ただ1人この僕なんだ」
って

私はむしろ、ジョン・レノンの「片側」に
時に忠実に、時に反抗的に
そこにいたポールが好きなので、
ジョンは私にとっても
基礎の存在になってるんだと思います。




「I don't believe The Beatles」


って歌った彼だけど

誰よりもビートルズにこだわっていたのは
ジョンでした。
それは私には嬉しくもあります。

彼の人生を思うに、
彼は大事なものを沢山無くしてきたので
また何かを無くしそうだという時に
どうしても救いが必要だったんですね。
それは強がりだったり、虚勢だったり、ドラッグだったり
Yokoだったり。。。

私は現在
男の子の母親でもあるせいか
いやいやただ年をとったからか(?)、

ジョンに対しては、すでに
「畏怖すべきカリスマ親分」というより

「可愛い、強がりでシャイな、不器用な男の子」
という目線で見てしまう自分がいます。

そして余計に愛おしいし、
辛い事たくさんだったよねって
抱っこして
彼の傷を癒してあげたいという
気持ちが湧いてくるのです。

(ポールには全然感じないにひひ
 あの子は精神バランス良いので…^w^)

「不器用な」
ジョンが嬉しいと私も嬉しい。
ジョンが哀しいと私も……。

(ヤバい、Yokoになるには度胸が足りないっにひひ
 つーかジョンからお断りだ?)


最期にジョンは、素敵な言葉を
私達にプレゼントしてくれました。

「僕は人生のうちで2回、すばらしい選択をした。
 ポールとヨーコだ。
 それはとてもよい選択だった」
って

その言葉は、まさに暗殺された
当日のインタビューによるもので…

ジョンは、自分の人生を
振り返るような何かを感じていたのでしょうか・・?


ジョン・レノン最後の曲と言われる曲
「Grow Old With Me」

プライベート録音ですが
優しいジョンの声が
シンプルで暖かい曲ですね。



「Grow Old With Me」

Grow old along with me
The best is yet to be
When our time has come
We will be as one

God bless our love
God bless our love

「これからも一緒に
 年をとっていこうね
 一つになろうね

 僕らの愛に、神のご加護を」


こう歌った一ヶ月後に
ジョンは居なくなってしまいました。

起きてしまったことは
本当に悲しいけれど

ジョンは、その当時
満たされた愛のただ中にいたのだと

あらゆる渇望と戦って来たジョンは
最後は本当に幸せの中にいたのだと

そう思わせてくれる
優しい歌です。。。

ジョン
お空で元気かな…?


(今日はちょっと降りてきたぜィ♪)


ちなみに
昨日のGoogle画面、

「あっジョンだ。。。?!」って
クリックしてみたら



「与謝野晶子」でした ……がっくし(^皿^;)