古都鎌倉。
鶴岡八幡宮の東側を10分ほど歩くと鎌倉宮があります。
鶴岡八幡宮や箱根神社・寒川神社などの名社の多い神奈川県の中で、それらを上回るもっとも高い社格の神社です。
 

御祭神は護良親王。大塔宮という名前で知られています。
建武の中興の後醍醐天皇の皇子で、天台座主(仏教の最高の公的役職)、征夷大将軍の経歴を持つ皇子です。
建武の中興の実現に大きな功労を残した方で、明治となり天皇のご親政にが始まった明治2年に造営されています。
 
造営にあたって天皇の東京奠都(てんと)以前に造営を命じられるほど思い入れのあった神社です。
 
この鎌倉宮は、護良親王が中先代の乱(北条氏のは鎌倉奪還作戦)の時に、北条側ではなく、朝廷側に殺害された場所です。
護良親王は、討幕を支えた皇族の最大功労者の一人で、討幕の戦いの元弘の乱では渡り、紀伊半島で討幕の戦いを続け、破れ続けたものの討幕の機運を作りました。
中興後、後醍醐天皇や足利尊氏、阿野廉子と対立するように、鎌倉へ送られ幽閉中に乱に乗じる形で殺害されました。
 
 
 
鎌倉宮はその過去を感じさせない神社です。
大塔宮や、村上義光などの有名人が祀られてはいますが、強く感じることはありません。
 
むしろ、もっと強い神性が感じられます。
明治天皇が関東で親政を始めるにあたり、武者の土地 鎌倉の抑えに造営したのかもしれません。
 
その力はいまも強く、神様を感じやすい神社でした。