茨城県神栖市。
かっては内湾であった香取海が広がり
物流として、軍事拠点として繁栄を誇った地域です
 
東のはてと考えられていて
「不動尊いのり経」には「東は鹿島・香取・生須の明明神」として記されています
 
現在も、境内の前(忍潮井)ではこのように間近に水の広がる風景になっています
水運によく大物流拠点として機能しました。
この優れた経済力が関東の兵乱
 平将門・平忠常・治承・寿永の乱(源平合戦など)の遠因と考えられています
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特に征討拠点として
香取・鹿島とともに二等辺三角形の一端をなすのがこの地域で
 
香取・鹿島の両神宮とともに
東国3社といわれたのが
息栖(いきす)神社です

創建は八幡神として知られる応神天皇の頃
主祭神は豊穣の神 久那戸の神。
葦原中国平定の先導の神です
久那戸はくなぐ=まぐあい・婚姻を意味するところもあり
香取・鹿島をくなぐ祈りもあったのかもしれません
 

 
社殿には江戸時代は気吹戸主(イブキドヌシ)とされたとされています
気吹戸主とは大祓詞において
禍事罪穢れを根の国・底の国に息吹放つ祓戸大神です
 
久那戸はくなぐ=行ってはならないところ の意味でもあります
また、この神社には、そう言った装置性を感じられました
 
この神社の本性は
この豊穣の神と、祓戸の神の二面性を有しています
この日も風が強く吹いていて
まさに気吹戸主の風に吹かれたような
最後には、すがずしさを感じました。