伊治公呰麻呂
780年に東北地方で朝廷に対し反乱を起こした人物です。

 

今回の仙台スピマに行く際、多賀城を訪れるました。
朝廷の東北制圧の舞台となっていたところです。
 

ある方は、多賀城跡を訪れた際、
「かなり厳しい雰囲気の場所で
【戦いの光景】が見えるようだった」と話していました。
 

おそらく、【宝亀の乱】で多賀城が
焼失した際のものだと思われます。
 

この乱の始めに、伊治公呰麻呂が
伊治城で反乱を起こし
朝廷支配に嫌気が差し
陸奥按察使紀広純、陸奥介道嶋大楯と
東北における最高責任者を成敗し
伊治公呰麻呂の消息は、途絶えます。

その後、現地の役人は多賀城を放棄し
多賀城が焼失した時点では、
伊治公呰麻呂の行方はすでに分からなくなっていたそうです。


多賀城が誰の指揮によって焼失したのか――
これは未だ解けていない謎の一つです。

この乱の結果として、東北は一時的にでも
朝廷の抑圧から解放されたようです。

東北の歴史には、【原ニッポン】の風景が隠れています。