私は誕生日に良い思い出がない。特に子供の頃の誕生日は、まともに祝ってもらった記憶がない。
それでも3回くらいは、母からプレゼントを貰った事がある。
1度目は、小学生くらいの頃、オルゴール。曲は「エリーゼの為」だった。
オルゴールが欲しかった訳でも、その曲が好きだった訳でもない。
全く、嬉しくなかった。きっと、安かったのだろう。
2度目は、20歳くらいの時に、「靴下」3足を渡された。簡素な紙袋に靴下3足が入っていた。
私に渡した後、妹が「3足1000円の靴下だから!」と言って、ゲラゲラ笑っていた。
何の嫌がらせだったのだろう。受け取って、とても嫌な気分になった。
受取ったが、使わず捨てた。
3度目は、マフラー。3月初旬の誕生日なのに、4月下旬に渡された。
どうせ、季節外れで安かったのだろう。半額以下で買ったのか?と思った。
酷い嫌がらせだと思い、使わずに捨てた。
子供の頃は、誕生日にケーキすら買ってもらったことがない。
1度ケーキを作ってあげると言われ、喜んだのも束の間、父と喧嘩を始め・・・
喧嘩が終わると「喧嘩して作る気がしなくなったから、あんたのケーキはなしだから」と言われた。
作る気がないなら、最初から、そんな事を言わなければ良いのに・・・ぬか喜びさせた後、崖から突き落とし、人を嫌な気分にさせる。
大人になって一度だけ誕生日だからとケーキの箱を渡された。「みんな先に食べたから」と渡されたケーキの箱を開けると、
ショートケーキが2つ入っていたが、周りは食べた後のセロファンや銀紙のゴミで埋もれていた。
残り物の上、ゴミで埋もれたケーキ。余りにも酷かった。
また、息子が小学生の時に、「私の誕生日だから、息子にステーキを食べさせてやって」と、高い国産和牛肉が一枚だけ持って来た。そして「今日はお母さんの誕生日だから、あなたに高いステーキ肉を買って来てあげたよ。焼いてもらって」と息子に言った。何の嫌がらせだろうと思った。どうして、わざわざ家に来てまで、わざわざ嫌がらせをするのだろう。
わざわざ、酷過ぎた。
それでも、母に子供の頃から毎年プレゼントを用意した。
プレゼントを渡さないと「私の誕生日、誰も祝ってくれない」と騒ぐからだ。
騒がれたら面倒だし、食事も抜かれ、更に酷い嫌がらせも受ける。だから、用意した。
渡しても「こんな物、使えない」と言われ続けた。
それは、大人になっても続いた。安物は使わないから大変だった。
ブランド物の財布に、バッグ。指輪などの貴金属。無理して買っても、気に入らなければ「趣味ではない」と言われる。
機嫌の良い時は「プレゼントは気持ちだから」と、気に入ってない事を伝えられる。
ある時、オープンしたばかりのフランス料理へ招いた。
メインの料理はいくつかあり選べた。母は辛い物が好きだからと、ハバネロのパスタを選んだ。
世界一辛い唐辛子だから止めた方が良いと言ったのに、それを選び、結局は「辛すぎて美味しくなかった」と言われた。
嫌そうな顔をしながら何度も言われた。無理して高い料金を払ったのに、こんな事しか言えない人だ。
自分で辛いパスタを選んでおいて、それも止めた方が良いと言ったのに忠告も聞かずに頼んでおいて文句だけ言う。
自分の誕生日は祝ってもらう事ないだけか、嫌がらせをされてばかりなのに、どうしてプレゼントや食事のお祝いをし続けたのだろうか?嫌なら止めれば良かったのに。もっと、早く気付けばよかった。止める事を。
毎年続けた誕生日の贈り物。私へは、毎年メールだけが来た。「誕生日おめでとう。何も出来なくてごめんね」と。
そんなメール送られても嬉しくなかった。逆に気分が悪かった。わざわざ送ってくる意味も分からなかった。
毎年、贈り続けても、何もしてもらえない。こちらが贈らなければ「誰も何もしてくれない」と騒がれる。
普通ではない。何でこんなに酷いのか。
不愉快になる誕生日メールも去年無視したら、今年は送られて来なかった。これで良いのだと思う。
不愉快になるメール等、いらない。
そして、徐々にフェードアウトして、もう一切の関わり合いを持ちたくない。
あの人と親子なのは戸籍上だけ。本当の意味で、私に親などいないのだから。
ついてでに言えば、早く死んで欲しい。この世からいなくなって欲しい。
いなくなった所で、私の苦しみは消えないけれど。
祖母に依存して生きている母は、祖母の死後、孤独になるだろう。
心のどこかで、それを望んでる自分がいる。
孤独になって、人にした仕打ちを思い知ると良い。
だけど、私は見届けられない。もう、これ以上、関わる気はないのだから。