誰にも言えなかった、言い出せなかった話をしたいと思います。
乗り越えるためにここに書かせてください。
私は放送部に所属しています。
中2の時に顧問の先生に向いていると勧められて放送部に入りました。
そこで全国大会出場を目指して練習を頑張りました。
私の学校はもう二十何年も連続で全国大会に出場しており、私も先輩のように上手くなれるように一生懸命練習に取り組みました。
私と同じ学年には上手い子が二人いて、その子たちに追いつけるよう一番頑張りました。
任意参加の朝練を高3の先輩に混じってそのとき中3の私も毎日頑張りました。
そのおかげで高かった私の声も落ち着いた声に変化して、きれいな声が出るようになりました。
しかし、それから高1の始めに歯の矯正をすることになってから、滑舌が悪くなりました。
言葉を話すとき、文章を読むときに噛んでしまうようになったのです。
私の学校の放送部では能力向上のために近所の小学校に絵本を読みに行くというボランティア活動をしています。
そして私にも番が回ってきました。
その頃大会3週間前ぐらいで普段日曜練習のない放送部でも大会に向けての日曜練習がありました。
ほとんど休日に家を出ない体力の無い私には結構体力的にも精神的にも辛いものでした。
今までの練習で先生に苦手意識を持っており、
大会の原稿作りの時に先生に内容がおもしろくないと手直しをされたのですが、先生のいうことをメモするとき突然手に力が入らなくなり、手が震えてしまい気味悪がられました。今思うと、その時から凄くストレスを感じていたのだと思います。
大会の練習はひたすら滑舌や読みの練習をして先生に原稿の読みを聞いてもらうのですが、先生の感情的な怒り方に私はただただ萎縮するばかりでした。
絵本のボランティア前日の放課後に先生の前で読みの練習をしたのですが、棒読みだということで指導を受けました。
部室として使っている視聴覚室で読みを聞いて貰いました。事前に練習をして聞いて貰っていたのですが緊張からか何度も噛んでしまい、読み進めるたびに速い、声が小さい、と大きなため息とともに、怒鳴られました。足で床を蹴りながら怒るものですから、怖くて涙が溢れてきてしまいました。
それから先生はそんなことで泣くなと怒鳴って、私はちゃんと練習したのか、ヘタクソだと罵られました。
もともと日々の練習で疲れていたのか、そこで初めて過呼吸というものになりました。
それから先生の怒りはヒートアップして先生はそのまま出て行ってしまいました。
出て行き際にそんなんで泣いてちゃ駄目だと怒鳴っていって、すでにボロボロになっていた私は深く傷つきました。
その日の夜、家で練習して明日に備えていたのですが次の日の体育の時間に体育の先生からのサーブをオーバーで取ったときに親指を突き指してしまいました。保健室に連れていかれ、ビックリするぐらい親指の付け根が腫れてしまって全く動かせませんでした。骨折している可能性があるからと病院に行くことになり、絵本は代わりの人に変わって貰うことになりました。
ちょうど病院がお昼休みの時間だったので、それが終わった後病院に連れていって貰うことになりました。
冷やしている間に泣いてしまい、学校で泣く、さらに二日連続で泣くということをしてしまいました。
理由は分からないのですが、病院に連れていってくれる先生は放送部顧問の先生でした。
泣いた後1時間ぐらい経っていて絶対に見た目では分からないのに、その先生は私が保健室で泣いたことを知っていました。
たぶん一緒にいた保健室の先生か、体育の先生が言ったんだと思います。私は保健室の先生は言うような先生ではないので、体育の先生が言ったのだと思います。
部活顧問の先生が車の中で私に、また泣いたんでしょう、ホント泣き虫ね、泣いてばかりじゃダメなのよと嫌味ったらしくブツブツと言い聞かせてきました。車の中二人っきりの密室で、それはとても辛くて何度もまた泣きそうになりました。
体育の先生も私が前日に先生の前で泣いたことを知らなかったとはいえ、なんでそういうことを人に言うんだろうと思いました。
私はあまり人に強く言えないタイプで、やるときはちゃんとやれるのですが、のんびりした性格で、真逆の性格だった先生は私がキライだったのかもしれません。
それから高1の大会後は部活にあまり行かなくなりました。
それから顧問の先生の古典の授業では何度も授業中に手に力が入らなくなることがしばしば起きました。
トイレ掃除監督でもある先生は一緒に掃除を担当している2人のクラスメートにまで、私の目の前で私の悪口を言っていました。凄く居心地悪くて、少しでも質問するとそんなことも分からないのか、考える力が無いんじゃないのと言われました。
私はその先生のせいでたくさんの辛い思いをしました。
今もそれが怖くて大好きだった部活に行くことが出来ません。
先生は放送部顧問の先生として実力もあり、周りの学校の放送部の生徒を集めて合同練習会を開いてしまうような凄い先生だというのは分かっているんです。
その先生にとってはついて行くことの出来なかった度胸のない生徒なのかもしれません。
でも私はもっと頑張りたかったです。