インドへ行くと乞食に会うチャンスが沢山あります。
20年以上前、駅のプラットホームで遅れている電車を待っていたときのこと。
7歳くらいの女の子が私にお金を頂戴と手を出してきました。
私はコインを彼女の手にのせました。
その子は後ろを向き歩いて行き、反対から歩いて来た別の女の子に何やら耳打ちをしました。
すると、そのもう一人の子が私の所へ来て、同じく手を出しました。
なるほど。
前の子が「あの人くれたよ。」とでも言ったのでしょう。
あらら、と思いながらもその子の手にもコインを乗せました。
それが4人続きました。
電車はかなり遅れ、退屈だった私はホームをうろついていました。
すると、身なりの薄汚れて見るからに乞食の子供たちが輪になって座っていました。
何をしているのか覗いてみると、お金を分けているところでした。
そして私の気配に気が付いた私の前に座っていた子が振り返り、
哀れそうな表情を作り、私を見上げ手を出しました。
するとその子はさきほど、一番最初にお金をあげた少女でした。
彼女も私だと気が付いたようです。
すると、彼女は、サッと表情を元に戻し、前を向いてしまいました。
「あー、この人からはさっきもらったわ。」とでも言うかのような態度でした。
へ―。一度もらったら、もっと頂戴とは言わないんだぁ。
何人かでもらってそれをみんなで等分に分けるんだ。と思いました。
1人の子が抱いていた小さな赤ちゃんを違う女の子に渡しました。
ほほ―! 赤ちゃんももちまわりなんだ。
当時の私はその状況を見てそう思いました。
今年、2月オートリキシャに乗っているときに、渋滞になり停まっていると、
乞食の子供が来ました。
ドライバーの男性が、「僕はああいう子供にお金はあげないんだ。
なぜなら、お金は元締めがいて、まきあげられてしまうから。
だから、僕は飴をこうやって持っていて、来たらあげるようにしているんだ。
そして、ライ病で手足の無かったり、不自由な人にはお金をあげるようにしているんだ。」と
言っていました。
よく、乞食にはお金をあげてはいけない!と言う人がいます。
自分が乞食に付きまとわれたとき、とても複雑な気持ちになります。
仕事もしないで、物乞いをしている人にお金を与えるべきでない。と言うけれど、
こんなに幼い頃自分だって仕事などしていなかった。
仕事をしなくてもいつもお腹いっぱい食べることは特別幸せと思うこともないほど
当たり前と暮らしていた。
大人の乞食だって、本当に怠け者で仕事をしないのだろうか?
子供の頃から毎日乞食をして、それ以上のことを知るチャンスもなく
月日が流れて体は、年齢は大人になってしまっただけではないだろうか。
乞食自体を仕事と認識して毎日働いていると思っている人も多いと聞いた。
ある乞食が死んだら、物凄い大金を持っていたという話も聞いたことがある。
やくざがまともな子供を傷つけてハンディーを負わせ、お金を貰いやすい哀れな姿にし、
物乞いをさせ、そのお金をまき上げるとも聞いたことがある。
さて、どれが本当で本当でないのか。
私が考えてこと、感じたこと、他のインドに行き、物乞いの人に会った人が考えたこと、思ったこと、さー、どうなんでしょう?
私の夫は小銭を胸ポケットに入れておき、時にあげ、時に首を振り、あげる、あげないは
特別決めてはいないようです。
ただ、インドでは額は別にしてあげる人は少なくはないみたいですよ。
お寺などに行って、何かをお祈りした人は、貧しい人に施しをすると
自分の願いも叶うと言う風に考えている人も少なくないからです。
そのため、お寺の傍には安い屋台などもよく見かけます。そして乞食も。
私も今回、聖地での散骨をした時に回りにいた何人かの人にそういった屋台で買った
食べ物を振る舞うようにお坊さんに言われ、そうしました。

20年以上前、駅のプラットホームで遅れている電車を待っていたときのこと。
7歳くらいの女の子が私にお金を頂戴と手を出してきました。
私はコインを彼女の手にのせました。
その子は後ろを向き歩いて行き、反対から歩いて来た別の女の子に何やら耳打ちをしました。
すると、そのもう一人の子が私の所へ来て、同じく手を出しました。
なるほど。
前の子が「あの人くれたよ。」とでも言ったのでしょう。
あらら、と思いながらもその子の手にもコインを乗せました。
それが4人続きました。
電車はかなり遅れ、退屈だった私はホームをうろついていました。
すると、身なりの薄汚れて見るからに乞食の子供たちが輪になって座っていました。
何をしているのか覗いてみると、お金を分けているところでした。
そして私の気配に気が付いた私の前に座っていた子が振り返り、
哀れそうな表情を作り、私を見上げ手を出しました。
するとその子はさきほど、一番最初にお金をあげた少女でした。
彼女も私だと気が付いたようです。
すると、彼女は、サッと表情を元に戻し、前を向いてしまいました。
「あー、この人からはさっきもらったわ。」とでも言うかのような態度でした。
へ―。一度もらったら、もっと頂戴とは言わないんだぁ。
何人かでもらってそれをみんなで等分に分けるんだ。と思いました。
1人の子が抱いていた小さな赤ちゃんを違う女の子に渡しました。
ほほ―! 赤ちゃんももちまわりなんだ。
当時の私はその状況を見てそう思いました。
今年、2月オートリキシャに乗っているときに、渋滞になり停まっていると、
乞食の子供が来ました。
ドライバーの男性が、「僕はああいう子供にお金はあげないんだ。
なぜなら、お金は元締めがいて、まきあげられてしまうから。
だから、僕は飴をこうやって持っていて、来たらあげるようにしているんだ。
そして、ライ病で手足の無かったり、不自由な人にはお金をあげるようにしているんだ。」と
言っていました。
よく、乞食にはお金をあげてはいけない!と言う人がいます。
自分が乞食に付きまとわれたとき、とても複雑な気持ちになります。
仕事もしないで、物乞いをしている人にお金を与えるべきでない。と言うけれど、
こんなに幼い頃自分だって仕事などしていなかった。
仕事をしなくてもいつもお腹いっぱい食べることは特別幸せと思うこともないほど
当たり前と暮らしていた。
大人の乞食だって、本当に怠け者で仕事をしないのだろうか?
子供の頃から毎日乞食をして、それ以上のことを知るチャンスもなく
月日が流れて体は、年齢は大人になってしまっただけではないだろうか。
乞食自体を仕事と認識して毎日働いていると思っている人も多いと聞いた。
ある乞食が死んだら、物凄い大金を持っていたという話も聞いたことがある。
やくざがまともな子供を傷つけてハンディーを負わせ、お金を貰いやすい哀れな姿にし、
物乞いをさせ、そのお金をまき上げるとも聞いたことがある。
さて、どれが本当で本当でないのか。
私が考えてこと、感じたこと、他のインドに行き、物乞いの人に会った人が考えたこと、思ったこと、さー、どうなんでしょう?
私の夫は小銭を胸ポケットに入れておき、時にあげ、時に首を振り、あげる、あげないは
特別決めてはいないようです。
ただ、インドでは額は別にしてあげる人は少なくはないみたいですよ。
お寺などに行って、何かをお祈りした人は、貧しい人に施しをすると
自分の願いも叶うと言う風に考えている人も少なくないからです。
そのため、お寺の傍には安い屋台などもよく見かけます。そして乞食も。
私も今回、聖地での散骨をした時に回りにいた何人かの人にそういった屋台で買った
食べ物を振る舞うようにお坊さんに言われ、そうしました。
