No.0119 「超ド級」の「ド」は戦艦ドレッドノート号の「ド」からきている(69/10)はい、ドレミの歌。 ド~は戦艦ドレッドノート号のド~。 漢字で書くと、超弩級。 この「弩」は当て字ですね。 イギリスの戦艦ドレッドノート号は、それまで全長130メートル、排水量1万7000トンを超える全長150メートル、排水量1万7000トンとはるかに大きいもので、日本でもそれに相当するような船を作り、それを「ド級艦」「超ド級艦」とよぶようになりました。
No.0118 イナバ物置のCMの座り位置は営業成績で決まる(88/100)昭和62年から作られているこのCMは7月の決算期に出た営業成績をもとに8月ごろCMが収録されています。 社長の向かって右側が1位、向かって左側が2位。 社長後ろの向かって右が3位、向かって左が4位。 1位の隣が5位、2位の隣が6位のようです。 で、この「2位」のポジションをずーっと守っているのが松本勝巳(まつもと・かつみ)さん。 2003年現在、13年連続で2位。シルバーコレクターです。 指定席から外れるときは衝撃が走るでしょうね。
No.0117 漢方薬には人間のウンコから出来たものがある(67/100)「人中黄(じんちゅうおう)」と言い、解熱・解毒剤に用いられてます。 「甘草(かんそう)」という薬草の粉末を人糞に浸して作られます。 また「人中白(じんちゅうはく)」というものもあり、これは小便の固まりを日干しにして作られます。 科学的には解明されてなくても、れっきとした東洋医術。黄金と聖水ではない…。
No.0116 奈良公園のシカはホルンを吹くと集まる(61/100)エサを知らせるナチュラルホルンの音色。 吹かれる曲はベートーベンの「田園」。 エサの時間に鹿を集める行為は明治25年から行われていて、当時はラッパが使われていました。 …というより、これは毎年約240頭が生まれて病気などで約280頭が死んでいるにもかかわらず鹿は「減ってない」という奈良公園がおもしろいのではないのか?
No.0115 野球拳には家元がいる(84/100)三代目家元は澤田藤静(さわだ・とうせい)さん。全国大会も開かれてます。 野球拳は大正13年に生まれました。 高松で開催された実業団野球大会で完敗した伊予鉄道電気野球部が、試合では負けたが夜の宴会のかくし芸では負けられない、と考案したのがはじまりです。 ちなみに、本家の野球拳は脱ぎません。 脱ぎのルールを世間にに広めたのは欽ちゃん、二郎さんのコント55号ということになりますか。 ちなみに、ジャンケンの「最初はグー」を世間に広めたのは志村けんです。 ボクの中でずっと疑問に思っていたこの「最初はグー」、こないだ解決しました。
No.0114 歩道橋には高さの変わるものがある(84/100)茨城県日立市水木町(みずきまち)2丁目にかかる歩道橋は道路を大型製品を運ぶ貨物車が通るため高さが変わります。 横断歩道でもよさそうだけど、付近が通学路のために渋滞などを懸念して歩道橋が造られました。
No.0113 指名手配犯の似顔絵は専門家ではなくごく普通の警察官が描いている(67/100)で、似顔絵係になったからといって(こう書くと新学期の係決めみたいですが)特に給料が上がるわけではないそうです。 似顔絵って意外と効果あるらしいですね。 写真でなく「絵」だと、見る人があいまいな部分を補ってくれて「あ、そういえばこの絵に似てる人知ってる…」という展開になるんですね。 ほら、交番の前の指名手配犯の似顔絵見て「この絵、お前に似てるなあ」なんて友達を冷やかした学校帰りの夕暮れ、思い出したでしょ?
No.0112 黄色い新幹線がある(67/100)知ってる人から見たら「…。うん、あるよ…。」なんだよね。 けっこう有名じゃない? 通称ドクターイエローと呼ばれるこの電車、正式には新幹線電気軌道総合試験車。 月に3回ほど実際の営業路線を走行し、電気設備や軌道設備などの点検をしています。 主に夜間に作業するため、暗くても目立つように黄色くなっています。
No.0111 宝くじの高額当選者のみに配られる本がある(87/100)毎年約3000人いる1000万円以上の当選者に配られるその本の一部を抜粋。グループ買いなら当面の決まりを作っておく興奮の後に訪れる不安は、以前の自分に戻るための通過点知らせる必要のある人をすべてリストアップもしもの時のために遺言状を作るまた、当選証明書ももらえて、税務署等で必要な時に提示します。 …それより! 宝くじは毎年1兆円近くの売り上げがありますが、毎年300億円ほどが換金されません! 何のために買ってるんでしょうか。 夢を買う? いや、その夢は最後まできっちり始末しましょう! 宝くじが換金されないニュースに触れるといつも思うんだよなあ。
No.0110 西郷隆盛の肖像画は本人ではない(74/100)おなじみのあの肖像画は弟といとこの写真を参考にして描かれました。 写真嫌いの西郷さんは、明治天皇が写真を欲しがった時でも断ったほどです。 隆盛が亡くなった次の年の1878年、イタリア人銅版画家、キヨソネが制作しました。 ちなみに私は、たまーに似顔絵をキヨタカに頼みます。