暑い日でした。

 

明日は親戚とディズニーランドホテルでお泊り。

ちょっとウキウキした、いつもと変わらない朝。

 

わたし(母)はいつものように出勤し、はるとは一人で起きてきた後、

夫が寝ている間に朝食をとり夫を起こして、夫の送りで保育園に登園。

 

いつもと変わらない1日のはずでした。

 

10時45分頃、職場にいる私のスマホに保育園から電話がかかってくる。

熱でもでたかな・・・、と思いながら給湯室に入って電話をとると、

 

 

 

「園長です。はるくんが倒れました。意識がない状態です。」

 

 

 

すぐに向かいます、と電話を切りオフィスに戻って上司、同僚に伝え、

PCの電源を切ったかマグカップを洗ったかの覚えもないまま職場を後にした。

そのとき、同僚の一人が「大丈夫だから」と肩をたたいてくれたのがとても心強かった。

 

駅に向かう途中に勤務先が家に近い夫に電話し、先に向かうように伝えた。

 

狭くて煩い大江戸線に座り、落ち着け落ち着けと念じながら最寄りの駅につき、

保育園に走って向かっていると救急車のサイレンが聞こえた。

 

夫が先に到着し、救急車には同乗できたということを夫からの電話で聞いた。

救急車の到着が遅れ(要請から30分くらいかかったと後から聞いた)、

搬送先もなかなか決まらなかったが、最終的に女子医大が受け入れてくれたそうで。

 

家に戻り保険証、診察券、パジャマ代わりの甚平、下着、ティッシュ、などなど

入院に必要そうなものをとりあえずまとめ、車で女子医大に向かった。

 

車をとめて東病棟の救命センターへ向かうと、夫と保育園の看護師が座っていた。

時々救命センターから出てくる看護師?に水分は摂っていたかなど聞かれるので

熱中症の疑いかと思っていた。

 

1時間くらい経ったかと思う頃医師が出てきてCTの画像を見せてくれた。

 

素人目にもわかるほどの広範囲に脳出血がみられる。

6センチくらいという説明だ。

キウイくらいのサイズにみえた。

 

これから出血を取り除く手術に入るということで、たくさんの同意書にサインをする。

プロポフォールをつかいます、という書類があり数年前の医療事故を思い出したが

それどころではなく、そして坊主にしますがいいですか?と聞かれ、いやいやそこはいいでしょ、

と突っ込みながら。

 

手術は15時半から開始。おそらく脳出血を起こしてから5時間半くらい経っている。

救急車がもっと早く来れば、搬送先が早く決まれば、手術室が早く開けば、

とかいろいろ思うけれど、それだときっと小児脳神経外科医師の手が空いていない。

後から思えば、火曜日は手術日だし、あのタイミングだからこそ受け入れが可能だったのかもしれない。

 

手術前に少しの時間はるとに会わせてくれた。普通に眠っているようだった。

あれが最後にならないように、と願いながら手術が終わるのを控室で夫と待った。。。

 

控室では脳動静脈奇形という病気と女子医大について、スマホでずっと調べていた。

それしかすることがなかった。

女子医大には小児の脳神経外科医がいることを知り、ここに搬送されたのは

とても運がいい、はるはきっと助かる、と自分たちに言い聞かせていた。

 

手術が終わったのは21時半頃でした。

ICUでまだ眠っているはるとに会わせてもらい、命が助かったことを執刀した医師たちと

何かよくわからないものに感謝した。

 

翌日は11時からICUでの面会が可能で、今日は帰宅するようにと言われ病院を後にした。

その頃には駐車場代の5千円にぶったまげる余裕もうまれていた。

 

 

長い長い一日だった・・・。

 

そしてこれは始まりだった・・・。