七転び八起き、と言いますが、私はそんな感じの人生なのかなー、と思います。後は、
転んでも、タダでは起き上がらない。。
正に、このレジリエンスはどこから来るのかなーって思うけど、多田さんが
「さぁ。これから、ネチネチやるわよ」
というMTGの招待状を送って来たその日にエージェントさんを通して辞表を出し、彼女が翌朝出社したらそのお知らせを彼女はメールで受け取る、という
ざまあ。
という状況を作りました。旦那さんが、「ママは何も悪くないし、頭おかしい人で、話聞く限り周りの人もみんな分かってるから、スーンってしてれば良いよ。」
本当に。マジで、辞めますって言った時はスッキリしたし人と言うものは防衛本能が働くから、悩まずにサクッと逃げることにしました。良く、会社でうつ病になってしまう、てか、私の他の社員さん達は、この会社のネームバリューや社員という立場にしがみついて、こんな変な出来ないマネージャーの下で休職しながらも、頑張ってるのか、と本当に気の毒に思いました。
朝、出社して来た時、一番良く面倒見て下さった若い女性社員さんに、
「すみません、私、どうしても多田さんのやり方にはついて行けないので辞めることにしました。折角色々教えて下さったのに申し訳ありません。」
「。。。。私も、慣れるのに2年かかりましたけどね、はなさんは社員じゃないし、でも仰りたいことは分かりますけどね。」
→私は耐えて来たのに、あなたは逃げるのね、というニュアンス。。。私は社員だったとしても逃げるし、そもそも、こんなおばあさんイジメ返して辞めさせれば良いのに、若いし頭良いんだから、と思うけど、本当に彼女のやり方は狡猾で、巧妙だから、本気でやり合ったら負けるかもしれないしな、その若い来たばかりの男性マネージャーがクビになったみたいに。。
と思うのでした。ノーティスを出してから本当ならお互いが合意すれば直ぐにでも辞められるはずなのに、エージェントさんも何を負けて帰って来たんだか、しっかり1か月その後、働かされました。メンタルがヤバいから辞めます、とも言えたけど、私は、もうそこまで関わらなくて良い訳だし、やはり自分から辞めると言ったら、契約上のノーティスを守るのは、大人の流儀だよな、と頑張ることにしました。そして、早速電話したのは、
形成眼科
以前、眼瞼下垂の手術をしたのですが、その時は糸で瞼を吊り上げるという術式で、本当ならば、切る術式の方がしっかり瞼が上がるから、やり直したい、と思い始めていました。ただ、切る術式は先生にもよりますが、物凄く腫れます。しかも、
「お直ししました」という、まま、の目の上の腫れ。。会社に行きながらって厳しいからお盆休みとかお正月休みにすごく混むのですが、私はこの1か月のノーティス消化期間をそれに費やすことにしました。
つまり、あと1か月で辞めるって分かってる会社なんだから、どんな顔して行ったって、良いし。と思ったのです。実際、夏休みというのもあるし、前述したとおり同僚の社員さんはみんな、そもそも週一出社。強いて気が付くのは、毎日顔を合わせる多田さん、つまり、一番どうでも良い人。
ママ、次の面接もあるだろうから、それまでにダウンタイム過ごすのは良いかもね。やっちゃいなよ。
ということで切開術式の眼瞼下垂の手術を会社を早退して受け、月曜日だけお休みして、まだ、
「うわ、この人大変なことに。。」みたいな顔で火曜日から出社しました。家を出るときから会社のエレベーターを降りてオフィスに入るまではサングラス。その後は老眼鏡をかけてなんとかごまかしますが、1週間は目を閉じると黒い糸が見える、内出血で目の周りが真っ赤、という本当にヤバいルックスで出社しました。隣の財務部の方も、1メートル先くらいにいらっしゃいますが、流石に三日くらいは、出来るだけ顔を見て話さないようにしながら過ごしました。。。
その先生の術式はとてもダウンタイムが少なく1週間後の抜糸後には、もうほとんど腫れも引き、奇麗に二重の瞼が出来上がっていました。
相当ヤバいおばあさんマネージャーのイジメに遭う前にカウンターでノーティスを出して辞めるまでの1か月間
ってのは、これって凄いな、みたいな、あからさまなこともされました。ある日、会社のパーティーが夕方からある、という日に、私も他の部署の派遣さんとともに、顔だけ出そうかな、と思っていたら、
「はなさん、貴方は今日は6時まで必ず席に居て、まっすぐ会社を出る、という報告をあの人→残業でパーティーい行けない人、に報告して今日は帰ってね。」と言って自分はさっさと仕事を切り上げてパーティーに行く。
それを少し離れて聞いていた会社の方が、
「何ですか、多田さんの、今のは、はなさん一緒に行きたかったのに、他の部の方も、はなさん来れるかなって言ってましたよ」
そう、ほとんどいない人事部に毎日出社するようになって
「最近、人事に行くと対応して下さる方が来た」と評判になっていたらしく、廊下ですれ違うと会釈されたりして、私は沢山の方の対応をしているから分からないけど、人事の人ってあちらは覚えているんですよね。
まだ、話していなかったけど、施錠のお小言の話をして、「色々考えて、ちょっと厳しいかと思って辞めるんです。」
と言ったら、
「また、あのババア」と、その方が言ってました。その方は、「残念だけど、多田さんが定年になるのを待つには長すぎるし、辞めるのは正解ですね。でも、はなさん、決断早い、ある意味、みんなギリギリにメンタルやられるまで頑張っちゃうのに。カッコ良いですね。」
うーん、いや、人は健全な防衛本能が働いていれば、そうするんだと思うな、と思いました。そして、その気まずい辞めますって言ってからの1か月を、瞼の切開手術のダウンタイムとして有効活用する、というしぶとい私なのでした。
瞼の腫れが引いて、しっかり二重になって来た頃に、まだ就職活動するつもりは無かったのですが、有名なメーカーのPRアシスタントを急募しているから、受けてみない?と言われ、ま、確かにあの会社に派遣ででも入れるのって凄いな、しかもPRアシスタントなんて面白そう。と思い、面接に行きました。結局、その面接は落ちてしまったのですが、その時にアレンジしてくれたスリランカ人の若い可愛い男の子が、
「はなさん、僕は君みたいな人は必ず、こんな思いをして終わっちゃダメだし、僕が全力で次の仕事探すから」
とどんどん案件を持ってきてくれる様になりました。結局、彼の紹介先の面接を受けている間に、他の面接の話も来たりして、今の職場、ラグジュアリーブランドの最大手グループの人事部の採用アシスタントというポジションの面接に受かり、今に至ります。
採用の仕事は、会社の顔という意味もあります。私もボスの人事部長さん、今ご一緒している社員さんの3人のチームなのですがお二人とも、とても雰囲気のある、そしてめちゃくちゃ有能な方たちです。
この会社に決まった時に、私は、ジワジワと多田さんの毒牙にやられていました。新しい仕事が始まる数日前に、息子に
「またいじめられたら、どうしよう」と言うと、
「ママ、良く言ってたじゃない、一流の会社には変な人いないんでしょ、ママが次に行くところは業界トップじゃない。そこには多田さんみたいな変な人は居ないから大丈夫だよ。」
高2の息子に絶妙に励まされる私。。。でも、彼の言葉は本当で、今の職場はとても快適に仕事が出来ています。ミスしたりもするけれども、「私も、やったことあります、しょうがないですよね。」ってフォローして下さったり、私が至らない場合もしっかり指導して下さいますが、「次からで結構なので、こうして頂けると、とても助かります。」と言っためちゃくちゃ大人な注意の仕方で
「やっぱり会社によって違うよな」とつくづく思うのでした。
駆け足で書いて来た、天中殺だった去年の話、今の職場にきて4か月目にもうすぐ入りますが、色んなことを自由にさせて貰っています。娘の受験に向けて在宅もさせて貰っています。
一つ目の会社でファッション業界に触れていなかったら、今の仕事の面接にたどり着けなかったし、多田さんのイジメに耐えて契約通りに契約してしまった4か月を全うしていたら、タイミング的に、このポジションの空きに応募出来なかったし、
天中殺、と言いながらも、年の終わりには1年前の自分には想像出来ていなかった仕事にたどり着いていました。
次が振り返り、の最終回となります。