太政官札について、またそれに関係するだろう由利公正の考えを見た。
以下はもはや蛇足になると思う。金札の発行に関係するようなものでもないと思う。金札の発行の建議のときに以下の考えがあったのなら関係するものになるかもしれないが、それについてはわからない。したがってないのなら蛇足ということになると思う。
◎由利公正:そのほか
[1]お金について
1.金は繰返し歩き廻り、物産を伴い益を遺すもの
○實業談話/明治25年7月16日 福井東別院
〈…私が經綸と云ふことを一つ御話して置きたい。
…日本全國を廻って歩く金といふものは、どの位あると云って見ると、先づ之を假りに分り易く積って、一億萬の金があるものと見積る、さふして一億萬圓という金が四千萬の人間が廻して居る、十遍廻れば、日本の経済は十億萬と云ふものになる、若し百遍廻れば百億、千遍廻れば千億で、下手の國は、少なう廻し、上手な國は何遍も廻す。故に諸君の勞力で之を五遍廻さうと、七遍廻さうと、諸君の思召し次第で、如何様に御使ひになっても宜い譯である。之が則ち國の全體に付て善くなる、惡くなるといふことに関係するのである。…❲1❳〉(付録164-165p)
○實業談話/明治25年7月31日 福井慶福寺
〈例えば十錢出した[預金]小切手は八百屋の手に渡り、八百屋から酒屋へ行き、蕎麦屋へ行き、若し十人の手に行ったならば、最う壹圓の働きとなって、此の土地が潤ふ土地が賑ふといふのは、經濟上第一のことで、其の土地の潤ひは何になるぞといふと、悉く物産になる、蕎麦屋が蕎麦を賣(う)ったのも物産の一ツで、其の融通は何に附くといふと、勞力に密着するから、詰まり之が盛んに行われ〉(付録216p)
○時局談/明治37年9月
〈日本の通過が二億八千萬圓あるといふ事は近年の調べである、其の二億八千萬圓の運轉が一遍餘計廻れば、二億八千萬圓は餘計廻はって居るのである、金が足を止める處には益を遺して居る、金は何遍働いても減らぬ、矢張二億八千萬円として廻はる〉(付録348p)
2.お金の用意と通用
以下では、「公共の信用というものがあれば」、金(きん)なのか金(かね)なのかわからないが、それがなくとも「切手でもいける」と
述べられている。
○實業談話/明治25年7月31日 福井慶福寺
〈金といふものは、我々人間が造るのである、又人間公共の信用といふのがあれば、金がなくても、前に云ふ通り切手でもいけるといふ世の中である、金よりは代呂物が大切である、代呂物よりは働く腕が大切だ――斯ういふものである…この大切な物が餘計寄れば、即ち金の高が少なくても、動かすといふ道が付く〉(付録212p)
ここで「金よりは代呂物が大切である、代呂物よりは働く腕が大切だ」と述べられているのは、「公共の信用」「切手」のためにはということなのか、金を得るためにはということなのかはわからない。
以下では、やはり読みがわからないが、「畢竟金は信用である」と述べられている。
○日本興行銀行の賛成に就いて/明治32年
〈[明治2年に福井にて]畢竟金は信用である其の金の本體といふものは則ち物産である、其の物を惹起といふものは則ち人民の勞力である〉(付録299p)
金=畢竟信用の本体は物産であり、それは労力によって起こる、ということがここでは述べられている。
以下ではおそらく、「金の代用物」は「肝心なもの」であり、それは「信用」によって代用になる、その「信用」を堅くすることは、「一人の分別では行きませぬ、必ず公民たる人の協同一致した精神が纏まらなければ、金の代用を大にすることができない」と述べられている。
○實業談話/明治25年7月17日 東別院
〈金の代用物が皆働いてある、金の代用物と云ふものは必要な――肝心なもので、證文でも宜い、品物でも宜い、又豫て人に信ぜられて居るなら、口約束でも宜い、これが皆金の代用物として働くのである、それで其の代用が餘計に使はれると云ふ者は、何の為に出來るといふと、人の信用といふ無形の働で、金の代用が餘計出來るのである、其の信用といふものを堅くして、金の働を餘計に仕様と云ふには、一人の分別では行きませぬ、必ず公民たる人の協同一致した精神が纏まらなければ、金の代用を大にすることができない〉(181p)
ここでは、確かに応じられるような何か、であれば、それは金の代用物になる、というようなことを言っているのだと思う。
以上をまとめると以下になる。
・公共の信用があれば金がなくとも切手でいける
・金=信用であり、その本体は物産で、それは人々の労力により起こる
・肝心なもの×信用が金の代用物となる、それには人々の協同一致が要る
[2]經綸
1.経済は貯蓄ではなく運用
経済は運用であると思う、また貯蓄ではないと思うと述べられている。
○時局談/明治37年9月
〈豫ねて私はお話をする事でありますが、富源といふものは主として勞力に在ると思ふて居る、それからモウ一つは經濟といふものは一寸此の節の上から見れば貯蓄にありといふ意味を有(も)って居る様に思はれるが私はさうは考えぬ、經濟は運用の事であらうと思ふて居る…此の運用のいふものは數の限りのないもので…運用の仕方に依って非常の積算が出て來る、假令四十萬の金にしても日々出てそれで運用して呉れるならば、其の四十萬は他に又四十萬の働きをする…其の數の嵩む時は測るべからざるものが出て來ふと思う。
若し此經濟と云ふものを、貯蓄と云ふものにして見たならばどうであらう、薩張り働きのないもので、十銭は十銭に止まるといふ事になる〉(付録347-348p)
[その運用に関してまたはその他]
その運用を盛んにするということに関連して、御用金を集めるために行ったことが述べられている。
〈偖(さて)御用金の快く調達出來ざるに付考ふれば、三月の末[以下の引用では二月の末]に至っても、洛中尚土蔵の目塗を取らず、此の如く不安の人情、融通閉塞、實に察すべきの状態なれば、府應に謀りて施政を注意し、又會計判事小原に談じた事がある、同人は前年より京都の住居を造る計畫で、切組も調い居る由、幸の事なれば、建築を始めよと勧めたれども、同人は謹行の人なれば、時世を憚り敢てせず、據(たよる?)無く自分が建築を始め、大袈裟にも人足等に酒をふるまひ、事大業に取計うたが、案の如く四五日の中に、近邊の土蔵の目塗が取怫はれた〉(108p)
○時局談/明治37年
〈其の時分私は頻りに、大和から伊勢路、江州から彼の邊に人を出して御用金を募るけれども、さっぱり出ぬ、仕方がない。
…空き地に普請を仕やうと思ふて…彼の眞中に普請を始めたのであるから、人が立って見る、…盛んに遣る、さうするとソロヽヽ目塗りを外した者も出た。此方は目塗りを外せば御用金が出ると思ふた…。〉(349-350p)
続き
〈有志が、朝廷へ只御奉公をして居るから、どうぞ皆月給を遣はされたいと云ふ事を、會計を持って居る私から言ひ出した、此の中で月給を遣れるか、遣れぬ、無い金は遣れぬ、遣る様にして遣りたい、それは宜しいけれども無い金は遣れぬ、…御評議が極まって…それが定まって來ると、金が無いから遣れぬが一月二月經つと、さっさと出て來る、貸した金も取れると云ふので出て來る、目塗の時は向ふで廻はらぬのである。
又旅費も充分に遣られた…彼の時の人は少しも貰ふた金を殘さぬ…金は少しも手に持って居らぬ、私のみならず誰も彼もさうである、それ故に京都は御用金はサッサと出て來る、それで當時の御用金は賄った、此の運轉ばかりで行った〉(350-351p)
二つ目の話の「さっさと出て來る、貸した金も取れると云ふので出て來る、目塗の時は向ふで廻はらぬのである」のところは、貸した金も取れると云ふので、というところから、おそらく人々の方から御用金が出てくる、ということだと思う。向ふで廻らぬというのの向ふも、おそらく人々の方のことだと思う。
2.國の為に回る様、能く廻す様にすることを望む
先に引いたものの続きで、金は繰り返し廻るものであり、これを國の為に廻る様に、能く廻す様にしてもらいたい、という旨のことを述べている。
○實業談話/明治25年7月16日 福井東別院
〈[❲1❳の直後]依って此の商法を重んぜられるヽ方は、別して大切なことである。仮令(たとい)工業をする人に於ても、國の為に廻る様にと云ふ慾を起して貰はにゃならない、慾はお互同じく負けぬほどありますから、能く廻る様にして貰ひさへすれば宜い、それで兎角我身一人で、餘所のことはお構ひない、我身一人で廻そう隣の奴は潰れても己さへ善くなれば宜い、といふチッポケナ考へは、實に小さな慾で、慾の目の球が福井縣に居て福井全體に及ばないと云ふものである。私が此所まで足を運ぶ所以は即ち諸君に、此の全體にかヽる大慾を起して貰ひたい、と云ふ考えである、故に此事は一番に申上げにやならぬ譯である〉(付録164-166p)
3.消極は恐ろしい
由利公正は、その言うところの消極というものを恐ろしいものであると感じていた。
○懐舊談/明治37年
〈今日となると消極の頭が邪魔をする、消極は悉く我身を締める、何故此の消極頭が我が身の邪魔をするか、と云ふに私は福井藩でありますから、文武節儉といふことを行はされた、嚴しい中に育って居る、最早先輩が先刻も言う通り金が足らぬからドウかして文武節儉して食い延ばせば金が溜る、と思ふて節儉をした、文武はせねばならず、金は溜めなければならず、其の文武節儉の中に物産が皆潰れた、殿様が木綿の着物を着て居られる、それで養蠶をする事が出來ぬ、それから越前は紙が産物で徳川も朝廷も御用になったものである、越前に儉約すると紙が惡くなり徳川も節儉さられ、朝廷も惡いものを用ひらるヽ、それがために節儉する程益々貧乏、私共十一から文武節儉で十年經つと又十年となって殆ど二十年文武節儉の中に育つ中に斯うではあるまいと云う事が感じた、それから物産のことを主張した時分に私が初めて此國の方針に抵抗することは出來ぬから、ドウカ物産を興すには人民に樂みをつけなければ働かぬ、ドウカ寺参りをするに百姓の小供は髷紐の一つも笄(かんざし)の一つも挿したいが人情である、然るに簪は挿されぬとか縮緬(ちりめん)はかけることならぬとか、さういふ事をすると道で斬られるといふ 程で、それだけは見逃して貰ひたいといふ事を云ってそれだけは見逃す事になって、物産の繁榮を奨勵したことがある、貴様が物産で儲けた金で買ふ髷紐は御見逃がしになるぞと云って奨勵したことがある…消極の頭で消極の國家に害を為すは恐ろしいものである、私等も越前で経驗をして居りますから、消極は恐るべきものである、序(ついで)に御話をして置きます。〉
- 前ページ
- 次ページ