尚の心情を例えるならば、そう。
それはまさに牙を剥く猛獣に追い詰められ、崖っぷちで今にも足を踏み外しかけている獲物になった気分というのが正しいだろう。
今彼を取り囲むように立つ女性陣に尚が求められている答えが何であれ、彼女らの眼は明らかに自分を仕留めるべき獲物と見ている猛獣のそれとしか思えない。
このまま曖昧な答えで見逃してくれる様な気配もない彼女らの神経を極力逆撫でしないよう、尚は頭の中で回答を細かく分析しながら構築し、反芻したのちゆっくりと口から紡ぎだした。
「え…えっと…そ、そう…です…ね?
そ、そういう…奴は…やっぱ許せないんじゃ…ない…です…か?」
自分の返答に満足したのかニコニコと笑みを浮かべ頷く女性陣の様子に、尚がホッと息を吐けたのはほんの一瞬だった。
「じゃあ…その人非人、見つけたら教えてね?
アタシたち全員が腕に撚りを懸けて…そりゃもう徹底的に…正義の鉄槌を下してあげるんだから…ね?」
尚の肩を掴み、唇に笑みを浮かべながらの鏡越しの視線は飽くまで冷たく、耳元まで口を寄せ囁かれたメイクアップアーティストのその言葉に、そして同じく鏡に映る女性スタッフ達の絶対零度の視線に、尚は身体が文字通り凍りつき、その背中に流れる新たな冷や汗すら温かいと感じ、最早声を発する事さえ叶わなかった。
死神の鎌の刃先が己の首元に近付いてきている幻さえ見えた。
この時ほど直後に響いたスタジオ入りを促すアシスタントの軽い声が天からの救いに聞こえた事が、尚には今だかつて一度としてなかった。
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「………俺としちゃあクオリティ的に非っ常~に不本意なんだがなぁ…これ以上やってもカネとスタッフと俺の時間と労力が無駄になるばっかりで…、俺は我慢出来ても俺以外のスタッフ全員が不憫でならねぇし…仕方ねぇが、終いにするしかねぇ。
あとは編集の腕でカバーしよう、本っ当~にご苦労だったなみんな!!」
完成したら一杯奢るからなと笑う黒崎の明るさの交じった言葉に、張り詰めていたスタジオの空気がホッと弛み、スタッフの表情も明るくなった。
それほどまでに最後の最後まで撮影は難航したのである。
たった一人の出演者である、尚のあまりのクオリティの低さに徹底的に足を引っ張られて。
スタジオ内でスタッフがテキパキと撤収作業に勤しむ中、尚はスタジオの中心でへたり込み項垂れていた。
「おい、撮影終了なんだ。
散々迷惑掛けたスタッフ御一同様に何か言うことねぇのか?
ダメ出しされまくった主役さんよ。」
台本片手に近寄って来たどす黒オーラ全開の黒崎の言葉に顔を上げた尚は、周囲の視線の厳しさにも気付いて慌てて立ち上がった。
「おっ…お世話懸けました!!
あり、ありがとうございました!!」
芸能界で生きてきた間にほんの僅かだが尚の身体に養われた勘が訴えた。
《今此処で頭下げとかないと自分の芸能界生命はないっ!!》…と。
それを見て絶対零度な視線を浴びせていたスタッフもお座なりだがお疲れ、と返しそれぞれの仕事にと散っていき、辛うじてだがその日、尚の首筋をツンツンと突っついていた死神の鎌は渋々ながらだがその刃を引っ込めたらしい。
……突っつかれ捲った本人は生きた心地はしなかっただろうが。
しかしその直後頭を下げたままの小さな小さな声で尚が呟いた一言は、黒崎の神経を逆撫でするには十分だった。
「…訳分かんねぇ…俺何かしたか…?」
その小さな呟きは一番近くにいた黒崎にしか聞こえなかった。
聞こえてしまったからこそ、黒崎は敢えてきっかけを与えるべきだと思った。
「おいおい、呆れたヤツだな…まだ分かんねえのか?
ストレートに言えばだがな、〈因果応報〉ってヤツだ。
お前の今までの行動と振る舞いがそうさせてるんだよ。
業界じゃ横の繋がりは色々あるからな。
誰が話さなくても自然噂は伝わってくるモンなんだよ…そう、色々とな。
この業界で生きて行きたいなら、これまでの生き様を…そうだな、産まれてきてから今日まで全部、隅から隅までじっくりと振り返ってみるこった。
…おっと、ヒントやり過ぎかな?
ま、プロモの出来上がりを楽しみにしてるんだな。
仕事は仕事だ、そこんとこはキッチリ割り切ってア~トに仕上げてやるから。
じゃあな。」
丸めた台本でポンポン、と軽く尚の肩を叩くとお疲れさんとその場から去っていく黒崎の背に、尚はもう一度頭を下げた。
「…お~お、ヒントの大盤振る舞いじゃねえか?
黒崎監督。」
去って行く黒崎と入れ換わる様に近付いて来た気配に頭を上げると、ガタイのいい中年男が不敵な笑みを浮かべて自分を見下ろしていた。
「…吉野さん。
大盤振る舞いって…。」
「色々報告上がって来てるんだけどなぁ。
お前、あちこちでいろんな人から異口同音に言われてるだろう?
言われた言葉は違えど中身はほぼ一致してる。
何度も言われてる事にまさかまだ気付いてないとか言わねぇだろうな?」
俺が知ってるだけでもかなりの回数になるんだがなと薄ら笑いを浮かべながらとんでもない事を当たり前の様にサラッと口にした吉野に、尚は愕然とし、言葉を発する事さえ出来なかった…。
やぁあっっと、プロモーションの撮影が終わりました!!
まだ映画の撮影が残ってますが…( ̄~ ̄;)
散らばったエピソードも拾い集めなきゃだし、でもそろそろ終盤近くなってきたかなぁ…。(笑)